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「アトリエ訪問:近藤康弘 後記」


アトリエ訪問:近藤康弘 後記


うえおかゆうじ


近藤さんと知り合って先月で丁度一年。

今回アトリエ訪問で益子に訪れた時がその節目だった。


近藤さんとの付き合いは、名倉くんがyutaさんを引き連れ「∴つづる」の連載記事「健康より」の執筆をお願いしに彼の家に訪れた際、僕も同行させて貰った事に始まる。

名倉くんは僕を連れていく理由として、

「近い内に近藤さんのアトリエ訪問を行なえたらと思うので、縁をつなぎたい」との事だった。


僕は初対面の近藤さんに、

「うえおかさんは穏やかそうに見えますが、何か秘めてそうですね。むむむ」

的な事を笑いながら言われた様に記憶している。(記憶違いならごめんなさい)

でも、同時に僕も同じ様な事を近藤さんに感じていたのでした。密かに。


時は過ぎ、その数ヵ月後。


次に再会したのは秋。夕顔さんの「たち呑み屋夕顔」にて。

そこで近藤さんは、頼んで読んで頂いた、僕の小説の感想をくれたのでした。

良い事もたくさん言ってくれたのですが、どこか歯切れが悪い。

そして、やはり近藤さんが一番言いたかった事は、良い事ではない所でした。

「小説の後半、ドロドロとしたうえおかさんの内面が出てくる所があるでしょう?あれはどうかなと僕は思った」と。

「もっと話全体の展開として、健康的な物語になり得たのではないか?」と。

数分間、その可能性に想いを馳せる僕。


そして話題は変わり、近藤さんに対し僕は、

「轆轤を回している時には何を考えているんですか?」

と質問してみたら、なんと彼は、

「ドロドロした事が多いですね」

と口に漏らしたのでした。

すごい矛盾! 故にリアル! 僕は近藤さんの内面を見た気がしました。

しかしそのあと彼は、

「だからこそ健康的でありたい。ドロドロは内に秘め、外には出したくない」

と言い切ったのです。


そして今回、一年前の念願叶って近藤さんにアトリエ訪問を行いました。

二時間半のインタビューの際、近藤さんの話は、どこかへ脱線しても必ず最終的には凧の糸を手繰るように「健康的な物づくり」の話に帰って来る。

その粘りの様なものに感心しました。


「健康的な物づくりとは、安心出来る物」


人間、ドロドロした部分は当たり前の様にあると思います。

それを自分の意志でなるべく外に出さぬと踏み止まる、近藤さんの「健康的な姿勢」。

もちろん、それが良い悪いとかの話しではありません。

しかし、彼のその姿勢に対する意志の強さが、今回のアトリエ訪問インタビュー全体に、一本の軸として通っていた事は確かであり、そこに近藤さんらしさを再確認したのでした。





ARTS&CRAFT静岡






アトリエ訪問インタビュー:近藤康弘

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第十回アトリエ訪問 近藤康弘


話す人:近藤康弘→近

聞く人:名倉→名 ライター:植岡→植 サントラ制作:ユキ→ユ



名:今回は栃木・益子の近藤康弘さんのアトリエにお邪魔しております。昨晩から、ご飯を頂きお酒を頂き。

近:「みんなで料理したのが、新鮮でした」

名:釣ってきた鯉を食べ(笑)。これからが本番ですね。さっきまで制作をしている所を見せて貰って、写真も撮らせて貰って、男前な姿を撮らせて頂きました。

植:男前でしたね〜。

名:今回のアトリエ訪問でひとまず最後になります。またいつかやるかもしれないけれど。ではよろしくお願いします。

近:「よろしくお願いします」


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名:まず、自己紹介からどうぞ。

近:「益子で焼物を作ってます、近藤康弘といいます」

名:出身はどちらですか?

近:「出身は大阪です。今から八年前に益子に来ました」

名:この場所、アトリエですよね?

近:「はい」

名:ここをつくったのはいつ頃ですか?覚えてる範囲でどうぞ。

近:「まず最初に益子に移り住んだ時に、一軒家の平屋を自分で探して借りたんですけど、そこは普通の民家って感じだったので、スペースの問題もあって、そこでは仕事は出来ないなと思ってました。修行中は自分のアトリエというか仕事場っていうのを探したりとか、そういう事は一切考えてなくて、卒業したあとに考えようって思ってました。で、修行期間が三年半程だったんですが、三年目の時に友人から空き家の話が入ったんですけど、丁度焼物屋さんが使ってる場所で、その人が益子を離れて自分で家を建てるというので、空くからどうかなって声を掛けて貰いました。実際見に来た時にご覧のように環境がいい、自分のイメージしてた感じで。水を結構使う作業なので、水を使ったり、薪を確保出来て割る場所が欲しかったので、ここを見た時に理想的かなって思いました」

名:作業する音が大丈夫なこと、あとは快適さですか?

近:「音はどうしても出るんで、僕の場合は住宅街とかだと出来ないなと思ってました。焼き物の仕事でも人それぞれスタイルがあって、都会の中でやられる方もいるだろうし。…元々僕は団地で育ったので、団地の中で作ってた時期も少しありました、ものすごい狭い空間で土埃とかを気にしながら。だから物を生み出す環境によって出来るものは違ってくるなとは思ってました」

名:この場所があるからこそ、作品を生み出せる。この工房との出会いで気づいた事ですか?

近:「イメージは以前からありましたね。自分のやりたかったことが、出来るだけ機械に頼らないスタイルで、必然的にこういう環境を求めていて、それに適う場所だと思いました」

名:それが丁度、前に働いていた師匠の元を卒業する前のタイミングで。

近:「そうですね、丁度」

名:ここだ!と思って、そのまま。

近:「はい。ただ快適さでいうと、住空間の方がものすごく傷んでたので、手直しはしないといけない」

名:そうだね、確かに。見ると、全然材が違うものありますもんね。

近:「はい。元々あった床とかは、家が山を背負ってるって事があって、湿気でかなりやられてました。でも、この家に移って来て二日目に気付いたのかな? 風呂の配水管が途中で壊れている事に気付いて。風呂入った後、穴あいてた床下を覗いたら、流した水がそのまま床下に溢れてました。ありえない光景でしたね。床下は湿気を嫌うんですけど」

名:自分で自分の家を腐らせてるみたいな?(笑)

近:「ええ。 すぐに、この家のひどい傷みの原因に納得しました」


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名:次の質問行きます。製作の場で過ごす一日の様子、流れを教えてください。

近:「基本的には9時〜6時くらいっていう時間を決めてます。で、10時、3時にお茶の時間があって、12時から1時間、昼ご飯を食べる時間で、その時間の決め方っていうのは、修行時代から、益子ではどこもその時間の流れでやっているので自然に身に付いてるんですけど」

名:意外に普通の会社員と変わらない時間ですね。もうちょっと早いかなと思ったけど。

近:「修行時代は9時〜5時でした。あと、それをきっちり守ってるかというとそうでもなくて、仕事がおしてる時は夜中迄やったり、…窯焚きがある時は本当は、ある程度時間のサイクルを自分でコントロールすればいいんですが、そこらへんまだ上手く出来てなくて、徹夜の日が続いたりとかってあります」

名:窯焚きで徹夜してる時って何をしているんですか? ぼーっとしてますか?

近:「うーん、一番やっちゃいけないのが、大事な時間帯の途中で寝てしまうとか。ある程度の緊張感は持ってないといけないので、それまで作業してた細工場の後片付けだったり、釉掛け作業をした片付けなんかをしてますね。

名:それは効率的ですね。年間で一番忙しい時っていつですか?

近:「うーん、まだそこまで自分のスタイルが確立されてないし、仕事も全然安定してないので…。でもやっぱり益子の場合だと春と秋に陶器市があって」

名:「5月と10月?」

近:「5月と11月です。その前月に他のフェアが入ってたり、注文の仕事なんかが入って重なってしまうとバタバタとしてしまいますね。逆に僕の場合は冬場は粘土づくりをしたりしていて、…土は凍らせた方が乾燥が早いんですよ。それで結構冬場の方が」

名:作業がはかどる?

近:「はかどります。こういう場所に住んでると、修行時代に描いてた独立してからの姿とは違って、草刈りだとか木を切ったりだとかで、月の内の結構な時間を取られるんですよね」

名:それは想いもしなかった?

近:「予想外というか、思ってた以上でした! あんまり忙しいとさぼったりするんですけど、休日とか近所から、草刈りの音が聞こえて来て、急かされるように『お前もやれよ』とワンワン機械が鳴ってるんで」

ユ:今日も朝から鳴ってましたね?

近:「そうですね。窯焚きの最中、仮眠取ってる時とかに、そういう音が聞こえてくるとたまらないですね」


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名:次の質問です。つくる事を意識的に始めたのはいつ頃ですか?またそのきっかけは? この辺りって『健康より』にあったと思うんですけど、改めて。

近:「焼き物と出会ったきっかけってのは、『健康より』にも書いてなかったんですけど」

名:ではそれを。

近:「高校時代までは全く陶芸の『と』の字も知らない様な人間で全然興味もなかった。ただ小学校時代に、焼物に興味のある女の先生だったんですが、授業に古墳を見に行くという郊外学習を盛り込んでくれまして。で、その時に、取ったらいけない土器の欠片を先生が取って、こっそり僕にくれた」

名:先生の名前は?(笑)

近:「名前はピーーーなんですけど、その先生が図工の時間に土器をつくる授業を設けてくれてってのがあって、それが最初のきっかけですね」

名:何で先生はくれたかね?

近:「お前、好きだろう? みたいな(笑)俺だけですよね、貰ったのは。他の生徒が見てない時に袋に入れたやつをこっそり渡される感じで。その先生は二年前に大阪で展示の機会があったんですけど、その時に手紙を出して見に来て貰いました」

植:いい話だー(笑)

近:「やっぱりこうなったか! みたいな事を言われて。自分じゃ意識してなくても、そういう素質っていうか、素養っていうか」

名:先生はそれを感じてたんだろうね。

近:「感じてたのかもしれない」

名:普段の康弘を見て。

近:「はい。で、その後はスポーツばっかりする様な少年時代を過ごして、高校卒業してからの進路を決める時に、さて大学受験するか、専門学校にいって手に職をつけるか? あっ、手に職をつける前に僕は男一人の長男なんですけど、うちの親父が一人で自営業をしてまして、それを継がなあかんという空気感がどんどん歳を重ねるごとに自分の中に出て来まして…。その頃、決められたレールっていうのが嫌で嫌で、ほんでそこから逃げ出したいって所がまずあって、大学受験するか、専門学校にいくかって迷ってました。何がしたかったかとか、特になかったんですけど、ホント縁って言ったら縁なんですけど、リクルートブックってあるじゃないですか? 太い本。わかります?」

植:リクルートブック?

近:「色んな学校がズラーッと載ってる分厚い本で、それをイライラしていた時に放り投げたら、たまたま開いたページが焼物の学校だったっていう、ふざけた話なんですけど」

名:その中からあの時の土器が姿を・・・(笑)

近:「顔をのぞかせた(笑) で、その時にこんなんで決めていいのかなって気もあったので、焼物の学校と一応硝子の学校を取り寄せたんですけど、何故か硝子の学校の資料は届かなくて。で、体験入学してみたら面白いなって思ったんですよ。でまぁ、二年の学校なんですけど、入学して一年経った時に考えまして…。うちの親父は跡を継いで欲しいのに自分は同じ物づくりだけれど、違うジャンルに行こうとしてる。それなのに高い学費を払って貰うっていうのが」

名:耐え切れなかったと。

近:「…そうですね。それで一年で辞める事にしたんですよ。もし本気でやりたい時が来たら自分で学費を払って学校にいき、仕事にするんだったらその後そうしようって」

名:今言ってた陶芸だったり硝子だったり、どちらも工芸じゃないですか? 工芸って頭は最初からあったんですか?

近:「いや」

名:絵をやりたいとか?

近:「絵をやりたいってのはなかったですね」

名:役者になりたいとか?

近:「全く。あんまり人の前に立ったりとか目立った事するのが苦手っていうか、でも完全に日陰の存在っていうのも嫌で。小学校時代から親父の仕事を手伝うんじゃないですけど、小学校が休みの日とかに、一緒に行って掃除の手伝いとかをしてたんですよね。親父のやってた仕事っていうのが金型業なんですけど、機械で鉄を削る、油まみれになりながらという仕事だったんですが、そういう音とか匂いだとかは子供時代から自分に染み付いてた、嫌な記憶としてあるんですよ。なんでかっていうと、すぐ工場の裏手にドブ川があるんですけど、その川の色が在り得ない色をしていて、黄土色とヘドロが赤茶けたような色で、そこに図鑑に載ってない様な生物が泳いでるんです、オタマジャクシの様な。小さな頃から虫を取ったり釣りをしたりするのが好きな子供だったんですが、そのドブ川の奇妙な生物に、子供心に常に疑問に思ってて、気持ち悪いなって。それが跡を継ぎたくなかった大きな所かもしれないですね」

名:その疑問っていうのは、おかしいだろ、ってこと?

近:「これは何かおかしいぞと。頭ではわからないけど、安全なことじゃないなっていうのがあって、物づくりを仕事にしたいなって気持ちはずっとあったんですけど、機械を使うものは嫌だなってのはありましたね」

名:機械を使って、結果、自然にダメージを与える事。そうじゃない物づくりをしたかったし、だから陶芸だったり硝子の方にいきたいって。

近:「そうですね」

名:自分に対する違和感。それが焼き物だな、硝子だなって事を考えた。

近:「はい、でもその頃は陶芸の世界の事を何も知らなくて。学校に行く中で、この業界のことを知っていくんですが話を聞けば聞く程、仕事には出来ないな、難しいなと思いました」

名:それで食べていく事は難しいなあと。

近:「難しいなと思いましたね。選ばれた人じゃないと出来ないなと思って、で、学校辞めてからは普通に荷物を運ぶ仕事をしてたんですが、その職場のすぐ近くに古本屋さんがあって、そこが美術書とかのセレクトがなかなか良い古本屋さんで。休憩時間にそこで焼物関係の本を買っては読んだりしてて、趣味ですね。んっ、趣味じゃないな? でも仕事にしようとかじゃなくて」

植:ライフワークって事ですか?

名:ライフワークじゃないでしょう。いわゆる趣味だよね。

近:「趣味です」

名:でも、陶芸ってものは頭から離れなかったんだよね? 仕事の休憩中に行くくらいだから、休めばいいのに。

近:「そうですね〜。」

名:その時買った物は、ここにもたくさんありますか?

近:「結構多いですね。三分の一位ですね。で、きっかけの話でしたよね?」

名:陶芸の学校を一年で辞めました。荷物を運ぶ仕事をしています。古本屋に通って本を買ってます。読んでます。頭から離れません。その後にそうだ益子に行こう、っていう期間は?

近:「その時にきっかけとして、高校からの付き合い、幼馴染みの手創り市でお世話になってるyutaこと、須原なんですけど。あいつが柳宗理さんの講演がある民藝夏季学校っていうのに応募して行ったって話を聞いたんです。で、その時に感想文を書いて、その感想文が『民藝』って雑誌に載るって話を聞いたんですよ。載るんだったら俺もその本見てみたいなって。聞いた事ない本だったんで大阪で一番大きな本屋さんに行って、『こういう本ありますか?』って聞いたんですけど、でも見つからなくて…。大阪で一番大きな本屋さんにないって事はどういう事だろうって、『ここだったらあるんじゃないか?』って聞いたのが大阪の民芸館。行ったら置いててそれを読んだんです」

名:読んで、どんな印象を?

近:「それまで民藝というものに興味もないし、ほとんど自分には縁がないものだったんですよ。で、その冊子の一番後ろに全国の民芸館の営業時間なり開館日が書いてあるページがあるんですけど、京都の民芸資料館っていうのがあって、そこが月に一日しか開かない、ってなってたんです。で、月に一日しか開かないって事はおかしいなって思って、逆に興味をそそられて足を運んでみようかと。で、開館日に行ってみました。行ってみたら、民藝に関する面白い話を聞いたりしたんですけど、その場で民藝協会に勧誘される羽目になって、その場で申し込んでしまったんですよ」

名:民藝協会って何するところ?

近:「民藝を普及させる会なんですよね。全国に支部があって。そこから民藝運動を始めた柳宗悦と河井寛次郎に興味を持って、古本屋で買ってきては、調べたり想いをはせたり、という事をしていたら、どんどんどんどん自分の中で、この世界に興味が沸いて来まして。何よりも特別な才能がなくても、平凡な人間でも美しい物がつくれるという教えがあって。

名:そこから今までに止まってた陶芸に対する想いが、自分の中でくすぶっていたものがより明確になって来たんですね。

近:「明確になって来ました。で、まとまった休みを取っては産地を自分の目で見てみたいなと思って、色々周ってみたんですね。そこから『健康より』にも書いていると思うんですけど、焼物の仕事は小刀ひとつあれば全て成り立つ、という言葉を聞いて、『あ、ロマンチックだな』って思って、これを仕事にしてみたいなって思いが自分の中でどんどん強まっていったんですね。そうなって来ると、一から修行だなって思い立って、仕事を辞めて、頭を丸めて、どこか知らない土地で一から修行しようと思いました。益子を選んだ理由っていうのは、東京に住んでた須原の家に遊びに行った時に、日帰りで益子に行けるから行ってみないかって誘われて行ったんですけど、全然土地勘とかもなかったんですが、まず最初の濱田庄司が住んでいた益子参考館に行きました。そこで、一人のお爺さんと出会ったんですけど、そのお爺さんに話を聞いてみると、濱田さんの元で60年以上に渡って職人さんをやっていたお爺さんで、その時でお歳が76歳だったんですよね。職人さんとして働くには無理がある年齢になったので、去年から一人で仕事をする様になったと。良かったら工房に遊びに来ないか? って誘ってもらって。喜んでお邪魔させてもらいますって行ったら、そこで見た器にしろ聞いた話にしろ、面白いもので、湯飲みをひとつ買って帰ったんです」

名:産地としての益子に一番魅かれた部分は?

近:「その旅の途中で見た町の雰囲気っていうのが、僕が古本屋で買って見てた本っていうのが30年も40年も前の本で、自分のイメージしてた益子とあまりにもかけ離れてたんですよね。正直、来た時に町並みにはがっくりした部分があって、ただそこで出会ったお爺さんと器は本物だなって思いました。で、帰ってからその器を眺めてたんですけど、まず素直に温もりを感じました。その器の内側を覗き込んだ時に、外から見た時よりも内側の方が大きく見えたんですよね。中全体が広がってる感じで、大袈裟な言い方をすると宇宙の様に広がってる様に見えたんですよね。これは本物だなって思って、いよいよ仕事にしようかなと。それまで弟子入りっていっても、特にこの人、この産地っていうのはなかったんですけど、この人のところに弟子入りしようかなって思って行きました。

名:実際訪ねてですか?

近:「はい。とりあえず一週間土下座してお願いしようかなくらいの勢いで来たんですけど、早々にお爺さんは、余生を楽しむ為に焼物をやりたいし、お金なんか払う余裕も全くないし、ホントに仕事でしたかったら、まずは窯元に勤めた方がいいと言われたんですよね。それで、まぁ、諦め切れない部分と、どんだけお願いしても無理だなって事がわかったのであきらめて。その時は路頭に迷いましたよね。さぁどうしようかなって。大阪の地元の連中には行くっていってきたし」

名:俺は焼物で行くぜ!と。

近:「焼物で行くぜって、送別会までして貰って。行って来ますって言った手前、早々で『無理でした』っていうのは、帰るところもないなって思ってて。

名:それはみっともないね。

近:「さぁ困ったぞ、って思いながら、ふらふらと町を歩いてたんですよね」

名:野良犬のように。

近:「野良犬のように」

名:行き場もなく。

近:「行き場もなく…。何も調べずに、その時は益子に来たんですけど、寝床は山の中でテント張ってたんですけど」

名:あの展望台?

近:「いやいや展望台じゃなくて林の中で。で、僕が来て三日目にたまたま益子が春の陶器市に入ったんですよね。やけに観光客は多いし、売り手の人もお客さんも忙しそうで、とても仕事の話して貰える様な雰囲気じゃなくて…。それと売られてる物が自分の中で益子にイメージしてた焼物とあまりにもかけ離れてたんですよね」

名:そこに宇宙はなかった、と。

近:「宇宙はなかったです、はい。その頃の僕の頭の中は民藝の事で頭がいっぱいになってたんですね。正直、何百とテントがあっても、一通りぱぱっと見たんですけど、自分が心魅かれるものが全然なかった。柳宗悦が言うところの、器が病に侵されてるなと。そんな感じでふらふらしている時に、たまたまなんですけど、目に止まった器が、飛びカンナの器が店先に置いてあったんですよね。で、そこでお店の中を覗いたら、自分のイメージしてた益子らしい焼物がそこにあったんですよ。そこが弟子入りする事になった榎田窯だったんですけど、ここだなと! 二回目なんですけど、自分の中でドクンとくるものがあって。

名:その場で?

近:「いや、その時は一応店を出たんですけど、一晩考えて、ここしかないなと」

名:考えたのはベースキャンプ?

近:「ベースキャンプで(笑)ここしかないなと気持ちを高めて、翌日アタックしたんですね。で、『健康より』にも書いてあるんですど、断られて、でもお願いして、みたいな感じでなんとか置いて頂ける事になって」

名:そこから益子での生活と。

近:「いよいよ始まりましたね」

名:独立への第一歩だよね?

近:「はい」

名:榎田窯で働き出して、素朴な疑問だけれど、仕事っていうのは教えてくれるものなの?見て覚えろって感じ?

近:「最初は雑用ばっかりでしたね。掃除が一番基本にあって、俺は全く予定にない人員で」

名:人という名の空気だね?

近:「ホントに空気です。だから最初は窯場のペンキ塗りから始まって、色んな傷んだ壁を直したりとか、大工仕事なり、仕事の半分くらい畑仕事があるんで、雑草抜きから始まって、半年くらい雑用やってましたね。で、仕事が5時までなんですけど、5時以降は好きに練習していいぞ、好きに使っていいぞって言って貰ってたんで、毎日、5時から9時くらいまでそこで練習をしました」

名:いいね、そういうの。好きにやれってのがさ。

近:「ありがたい事に夜食まで出してくれて」

名:それは雑用もはかどるよね。

近:「はかどります。雑用も経験したことない事ばっかりだったんで、毎日が楽しくて」

名:近藤さんの今の様子を見てるとそんな感じがするし、絵が浮かんでくるよ。

近:「その時は休日、最初の一年は週休二日だったんで窯屋さんで窯づくりのバイトをしてたんです。だから修行先での一日も楽しいし、休日は休日で焼物に対する新たな発見があったり、窯の事を色々勉強出来るので、焼物づくしの修行期間でしたね」

名:どっぷり。

近:「どっぷりですね。家帰っては焼物の本を開けては、深く勉強する訳でもないんですけど、ぼっーと眺めるだけで。焼物三昧の日々だったんですけど。自分にとってはその日々が、生まれて一番輝いているというか、毎日毎日が充実感で満たされてましたね」

名:生きてる感触があるってこと?

近:「ありました、本当は仕事はこれからの独立の事とか考えなきゃいけないけど、毎日が楽しいんで先の事じゃなく」

名:今この時が。

近:「今! 明日死んじゃってもいいかなくらいな感じで過ごしてました」

名:それって今思えば、なんでそこまで?20代前半?

近:「25歳でしたね」

名:そしたらやっぱり休みは遊びに行きたいとか、デートしたいとかあるだろうに。でもそうじゃなくて、どっぷり焼物の事で。それは単純に好きだからって事もあるかもしれないれど、でもそうじゃない、益子までに至る間の時間、無意味な時間、失礼、悶々とした時間があって、その時と、修行の始まった時、まるで違う。

近:「ええ、違いました。僕はただ焼物の仕事を覚えるつもりで入ったんですけど、実際には日々暮らすという事を学んだというのがあって、焼物の技術の方は自然に身に付いていった感じでした。楽しかったってのは、仕事中でも大きなお鍋で料理をつくったりとか、窯でピザを焼いたりとか、そういう事とかもたまにやったりして暮らしと仕事が一つだったんですよね。雨が降ったら細工場で仕事して、晴れだったら外で畑仕事したり、それこそ自分の思い描いてた理想の焼物のスタイル。それと高校でて、学校に行ってた時は焼物って言葉を使わずに、陶芸だったんですね、自分の中で。でも益子で暮らしてから陶芸って言葉を自分から使わなくなりました」

名:芸じゃない?

近:「芸じゃないなって。暮らしかな」

名:暮らしと生きる事に直結してる。それで焼物かあ。

近:「はい。暮らしの理想はどんどんと膨らんでったんですけど、でもそれと焼物で独立して自分でやってくって事は全く別物だなっていうのを、そのあと独立準備期間にしろ、独立してから今に至るまで、痛感しました」

名:今も尚?

近:「はい(笑)」

名:でも痛感してるっていうのは、修行先でただ器をつくるだけじゃない、色々な事を学んだから、尚更それを痛感しているんだろうね。修業先で今までやって来た事がある。そこで学んだ事っていうのはただ焼物を焼いてればいいって事じゃなくて、器をつくる事と暮らしがセットになってくる、というのを学び体験して、知ってしまった。

近:「知ってしまった」

名:それが修行先での体験でいざそこから独立した時に、今はまだ、ちょっと前に修行先で味わった所に自分は辿り着けて、ない?

近:「うーん、そうですね。自分でそうなる様にとはもって来てるつもりだし、ひとつひとつ階段を上る様にはしてるんですけど。まぁそれ以前に独立してぶつかった壁っていうのは、値段を付ける事とか、器のデザインの事であったりです。…売れない事には明日生きていく為のお金が入って来ない訳だから」

名:独立したからこそ味わった壁だよね?それを含めて自分でやらなきゃ独立とは言えないし。

近:「はい」


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名:ちょっと話変わりますけど、益子の同業仲間とはどんな関係ですか?お互いどういう風に影響をし合ってる。影響を受けてます?

近:「そうですね。時々なんですけど一品持ち寄りで、誰かの家に集まって飲む機会っていうのがあって、そういう時にまぁ、焼物の話をする訳じゃなく、世間話をしたりするんですが。陶器市とかで他の連中の仕事を見た時に、新しい仕事を始めてたり、釉薬が若干変わったりしていると、その飲み会の場で、あまりに気になった事は話に紛れ込ませてこっそり聞いたりします。教えてくれたりくれなかったり、その場では笑ってるんですけど。その場で笑う事が出来るのは、普段、切磋琢磨して頑張ってるからだなと思います。だから刺激になりますよね。丁度同じ歳ごろで、僕より2、3年の先輩連中がほとんどなんで。その場を大切にする為に皆頑張ってる。

名:集まった時に、常に器の話をする訳じゃないけど。

近:「ほとんどしないですね」

名:でも、普段器と向き合って、それぞれやってるからこそ、集まった時に器の話じゃなくても、色んな話が出来る。時々器の話をしたりとか。かわされたりとか。同志に近いよね?

近:「同志ですね」

名:仲良しこよしではなくて。

近:「はい」


名:次の質問です。制作する時、どんな事を考えてますか?これみんなに聞くと、あまり何も考えてないですって言われると思うんですけど。

近:「僕も何も考えてないかな。ほとんど無意識なんですけど、つくってる物のラインだったりとかは気にしたりします、でも頭の中は何も考えてないですかね。むしろ、悩み事とかあったらそれを考えてたりとか。手はもう、別に全然動いてるので。むしろ、考えて仕事をすると物が鈍るっていうか、そういうのもやっぱり、土は柔らかい物なので、ダイレクトに出ちゃいますよね。いじり過ぎても悪くなるってのもあるんで」

名:ギクシャクするって事?ものを考えながらやってて。

近:「そうですね。考えながらつくったものは、出来あがった時に迷ってる感が出るんですよね。それは自分ではわかります」

名:そうすると、物とひたすら向き合って、頭で考えてるっていうよりも手で考えてる、それと無意識に反応して?

近:「そうですね。物づくりやってる人、結構みんな同じじゃないかなって思います。ちらっと本で読んだんですけど、イタリアの職人さんの工房では、独り言が飛び交ってるみたいで、全然仕事の事とは関係ないような。僕もぼそっと独り言を言ったりとかってあるんですが、独り言が多くなっていったら一丁前かなみたいな部分が自分の中であります」

名:その独り言っていうのは器と関係ない事。

近:「関係ない事です。周りの人にとっちゃあ迷惑な話なんですけど。考える時っていうのは、作ってる時じゃないですね。例えば、草刈りしてる時だったり、車を運転している時だったり、外食で出会った料理とかをみてどういう器が似合うかなとか? 日常生活にアンテナを張ってるような気がします。」

名:器をつくる時に器の事を考えてるんじゃなくて、普段の生活の中で考えてる。

近:「例えば、テレビ見てても小道具として使われている器だったり、映画の中で後ろの方に小さく映ってる器だったりとかを、すごく意識して見ちゃいますね」

名:あれいいな、とか。俺の方がいいぞ! とか(笑)

近:「ははは(笑)でも、自分のつくりたい物の希望としては、人よりも優れた物をつくりたいなっていうのはそんなにないんですよ。人と違った事をしたいとか、自分を出したいとか、そういうのはほとんどなくて。ただ自分の育ってきた様な、一般家庭の何気ない日常使いの食器が、器の事に全然興味ない家庭で使われてる食器とかが、…それってだいたい大量生産の物じゃないですか? そういうところを変えていけたらなって思ってます」

名:ものすごい器が好きで集めてるコレクターで、そういう人に使われるって事よりも?

近:「自分の育ってきたような家庭で使われたいな、という思いで作ってますね。それ以外でも例えばオリンピックやってますけど、メダルとるような選手の食卓風景が映った時に、そこで使われてる器が同じ様な工業製品、よくわからないプリントされた物とか、アメリカの国旗が入っているマグカップだったり。そういうのを見た時に、俺頑張らないとって思って。こういう所を変えていけたらなというのがありますね」

名:それが理想だし、近藤さんの物づくりのあるべき姿。

植:『健康より』の中で、健康な物づくりを通して国を変えていきたいってありましたけど、それが今の?

近:「はい、それがそうですね。大きな事を書いてしまったなと思ってるんですけど。自分は、面白い物を探しによくリサイクルショップに行くんですけど、そのリサイクルショップに置かれている器が、さっき言ってた大量生産、工業製品で、9割9分がつまらないものなんですよね、自分にとってなんですけど。それが結局は世間の現状かみたいなことを感じますね」

名:あ、それわかるわあ。リサイクルショップという終着駅でね。

近:「行く先々で僕はいつも燃え立ちますね。だから器好きな人とか、物が好きな人とかこだわってる方に使って貰えるのは嬉しいんですけど、リサイクルショップにある物こそ、今の世間の現状かなって。だから、そういうところの流れを少しでも変えていけたらなとは思っていますね。最近はCMとか見てても、意外と作家さんの器が使われてたり、すごい雰囲気のいい器が使われてたりで、すこしずつここ数年で変わってきたのかな?」

名:それはメディア全体でしょ?

近:「はい」

植:ちなみに、奥さんとも今みたいな話はするんですか?

近:「うちの嫁さんはそんなに器に興味ない人間ですけど、話はしますね」

植:近藤さんが焼物の世界に入っていって、彼女にも影響ってあると思うんですよね?

近:「もともと全然興味なかった人間に、わかってもらおうと価値観を無理やりおしつけるようにしてました。嫌じゃないですか?強制されるっていうのは? 修行時代とかまさにそれで、電話越しに器の話とかばかり言ったりしてたんですけど、自分の理想だとか」

名:あれまあ、そんな話が聞きたい訳じゃないのにね(笑)

近:「向こうがどんどん目に見えて器が嫌いになっていくのがわかりました。でも、今は結婚して二年になるんですけど、手創り市に出展させて貰う様になってからは、販売の手伝いに来てもらってます。その中で他のつくり手の人とコミュニケーションを取ったり、作られた物だけじゃなくて、作った作家さんと接する機会が増えてから、興味を持ち出したなって思います。最近は手伝ってくれている合間に、時間が空いた時には、喜んで買物しに行ったりして、俺よりも楽しんでるなって。自分で買うと物にも愛着が沸くし、作った人にも興味が沸いて」

名:それは奥さんの立場で考えると、器だけじゃなくて、色んな人が出てるから楽しいんだろうね。器だけだったら、自分がつくる側じゃない故に、専門過ぎて門外漢な感じを受けてしまう。そうするとなかなか入り辛いし、よくわからないし。手創り市だったら色んな人がいるからね。

近:「そうですね」

名:そういう奥さんを見て、逆に近藤さんが影響される事って?ありますか?

近:「…影響ってよりも、ホントは自分の生活で使う物とかは、自分好みの物を買い揃えたいっていうのがあって。あっ、ストレスが溜まったりすると買物しちゃったりするんですよね。OL気質があるっていうか。OLの方に失礼ですけど」

名:近藤さんがですよね。

近:「はい。それが最近は俺が選ぶよりも早く、向こうが買ってきたりするんで(笑)こっちの購買意欲が削がれるというか」

名:それ、いい話じゃないなぁ。大丈夫かなこんな話を聞いちゃって。でもまあいっか。(笑)

近:「ま、でもお互い買ってきた物を自慢し合ったりして、器に関しては、この人のこういうところがいいね、使いやすいね、とか。あと、器があると料理するのにも身が入ってくるというか、それに合うような料理を作ってくれたりするようになってきたかな」

名:それこそ、自分が目指す先はそれだよね?それで変わってくる。ちょっとした事かもしれないけれど。

近:「そうですね、まず、身近なところから第一歩です。実感として少しずつ変わってきたなっていうのがあります」

名:まず嫁さんから。

近:「まず嫁さんから(笑) 嫁さんの友人連中も嫁さんと一緒で、あんまり器に興味のない人が多いんですけど、旦那がこんな仕事してるっていうんで、買ってくれたりとか、こういうのが欲しいって言ってくれたりとかする事があるんです。そうして貰ってるうちに周りの人も徐々に興味を持ってくれて、裾野が広がっていってる感じがありますね」

名:それは、近藤さんが凄く特別な事を目指してる訳ではないし、照準を置いてないから、元々作家さんがつくる器に興味のない人でも感じてくれたりするんじゃないのかね?

近:「…だからそういう一般家庭で使って貰いたいなって。で、大量生産の工業製品と何かが違うぞって感じて貰いたいので、より手作り感が伝わるように自然の原料を使う様にしてますね」

名:多分、近藤さんの伝えたい事っていうのは、思想じゃなくて、もっと平易な言葉で興味のない人達にもわかる様な事で伝えていってると思うんだよね?それっていうのは、器見てください、はいどうぞ、ってだけじゃわからないと思うんだよね。物があって、その後に自分の言葉があって。と、伝える作業は意識してますか?例えば展示会とか、自分と器が一緒に出て行く時に、そういう自分の物づくりについて話をしたりするかどうか?

近:「まぁ、聞かれると今言った様な事を断片的に話したりはするんですけど、結構話も長くなってしまうし、自分の器の特徴とかだけ簡潔に伝える様には心掛けてますね。ホントは作り手は、器をつくるばっかりしてて、売るのはお店の人に任せるのが本来のあり方かもしれないですけど、伝えたい部分とかもあるんで。手創り市とか、クラフトフェアとか、陶器市とかで、お客さんと接する場を持つ事はこれから先もやっていきたいなって思ってます」

名:その方が伝わると思う。なんでかゆうとつくる人が伝える方がわかりやすい、とは違う、言われて腑に落ちるのかね。目の前に器があって、器をつくってるのはこの人で、更に作品を見た時に振り返るでしょう?すると聞いてる方っていうのは、器だったりそういう物に興味があってそこに行くのだから、つながりやすい。そうすると腑に落ちる。それが伝えるって事かなって。

近:「そうですね」


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名:ちょっとその辺の流れから別の質問ですけど、静岡の護国神社で開催されているARTS&CRAFT静岡に参加したきっかけと、参加してみて、お客さんと会話する、それを含めての感想を教えてください。

近:「きっかけは須原に誘われたんですよね。手創り市の事もほとんど知らなかったし。で、独立してちょうど一年くらい経った時、合同展示?企画展示?」

名:一番最初の開催で、こちらの方から作家さんに二区画お願いする、という話で、その中で自分で二区画、幅が6メートル、奥行きが3メートルを使って貰う。その区画を一人で使ってもいいし、自分で他の作家さんを連れて来て二人で使うのもいいですよっていう事で多分お願いしたと思うんですけど」

近:「ええ。あんまり具体的な事は須原からは聞いてないんですけど、一緒に静岡でこういうフェアがあるから出してみいへんか?って感じで誘われて。面白そうだなって思って」

名:その時の感想、エピソードなどありますか?

近:「その時に、さっきしゃべってた様な、自分とお客さんとの会話する事の大切さみたいなのを、初めてやってみて思いましたね。それまではやっぱ、作る事しか考えてなかったなっていう部分があって。まだ独立して間がない頃だったんで、値段の事にしろ、展示の仕方にしろ、初めての事づくしだったんですよね。単純にお客さんとコミュニケーションする大切さを知ったし、自分で空間を見せるという事…」

名:トータルで見せることを?

近:「トータルで見せるって事の難しさだったり、什器一つとっても運びやすさにしろ、お客さんの見やすい高さとか、そういう事の発見の連続でしたね。でも何よりも護国神社の境内が初めて見た時に凄く気に入って。その境内に向かって店舗が連なってる景色っていうのが、もう、すごくいいなって思いました。その一部分を自分が担ってるっていうのがまた。全くそういう事は予期してなかったので」

名:僕らとしてはそういう意識を作家さんが持ってくれるって事が嬉しいよね。あの会場のつくりだったり、それこそ正面の鳥居から入っていって、ずっーと真っ直ぐ行くと本殿があって、その中のひとつに自分がいて、その場所は自分が担っている、という意識があるのはすごく嬉しい。僕らとしてはそういう意識が作家さんの中にあるっていうのは、常に持っておきたい部分かなって。今の話を聞いてて思いました」

近:「やっぱり雰囲気っていうのも大切ですよね? 他のフェアもどうかなって思うんですけど、とりあえず気に入った場所で毎回毎回、違う部分を試行錯誤していったり、お客さんの変化を見たりするのが今は楽しいって思います益子でも売る事に関しては陶器市があってテントを出すんですけど、焼物ばっかりじゃないですか? 手創り市だと、違うジャンルの人がいると自ずと見せ方も変わってたりして、刺激される部分はあります。センスのいい人がすごく多いなって。良いところは盗もうって思ってるんですけど」

名:その流れで言うとさ、作家さんっていうは3メートル×3メートルの中で簡易的な仮設かもしれないけど、自分のお店をつくるって事と一緒な訳でしょう?

近:「店ですね」

名:ということはその人のオンリーショップだよね?その延長には、個人の本当のリアルなお店が、きっとあるはずだと思うし、実際、手創り市に出た事のある人の話だけど、それこそ、山口に引越したhimaar(ヒマール)さんだったり、埼玉・秩父にいるツグミ工芸舎さんとかは、個人の作家さんであり、自分のお店を開いてやってるんだよね。そういう流れが今あるなと思って、作家さんからすると、そこに希望があるからこそお店を開いて、お金をかけて責任を持ってやってる。作家さんが作家活動だけじゃないお店の活動もする事によって、もっと気づける事。自分達も作家さんがお店をやって、その活動によって、僕らみたいな野外のイベントを企画してる人達が気づく事もたくさんあると思うんだよね。そういうのを、個人的にも、イベントを主催する身としても、単に知りたいし、応援していきたいかなって最近思ってます。ちなみにhimaarさんはお知り合いですか?

近:「手創り市で出会いました」

名:単純に作家やってて、お店を始められて、すごい事だと思うんですよ。

近:「すごい事ですよね。隅々まで自分でこだわって店をつくっていかれたじゃないですか? 僕の自分の仕事場も自分でつくったんですけど、プロの大工さんにやって貰った綺麗さだったり、仕上げの上手さだったりそういうのはないんですけど、隅々までこだわれたかなって…。何が言いたいかというと、例えばテーブルにしてもたった1センチの高さの違いで、変わってくるじゃないですか?」

名:テーブル一枚の厚みであったり、高さであったり、それこそ1センチ単位の事を考えて選択して決める事に、そうしたところにいちつくり手として、責任を果たせる事が嬉しい、気持ちよい事ですよね。

近:「単純に一つ一つの選択が、時間は掛かるんですけど、出来上がったものは何よりもつくり手の人のこだわりにしろ、考えにしろ出るんで。もちろん大変です、思ってるよりも100倍大変だったとかってよく聞くんですけど、でも出来上がってみるとその分、隅々までこだわりが行き届く」

名:達成感?

近:「達成感もあるし…」

名:質問の角度を変えますけど、himaarさんの様に個人の作家活動もして、お店も始めました。ジャンルは違えどいちつくり手として、近藤さんは自分のつくる場所、見せる場所、売る場所、そのトータルで完結した形の場所をつくりたいと思いますか? 

近:「自分の修行先が窯元なんですけど、販売所があって。希望としてはいずれはそういった形で、自分でも店舗を構えてみたいなってのはあります。工房の横にお店みたいな」

名:そう考えると、焼き物の場合は窯元っていう、つくる場所、見せる場所、売る場所ってよりも、何も珍しい事じゃなくて当たり前の様にあるから。

近:「そうですね」

名:小さな窯元みたいなもの。

近:「そうですね。窯元になりたいんかな、俺は」

名:そういうものが増えていったら面白いですね。

近:「増えたら面白いですね」

名:今、オンライン上でも売買出来る場所ってたくさんあるでしょう?その中に個人の作家さんが作品を提供していて、売り買いが出来ますよって状態。オンライン上だから、その人には会えないし、伝え切れない。でもそれと同じ様に、個人個人で小さな場所でもつくっていく事が出来れば、オンライン上がもっとリアルになってきて、そうするともっとこう、オンライン上も意味があるし、もちろん、リアルなものに対する意味ってもっと大きいし深いけど、よりつながってくるなって思うんだよね。だからこう、himaarさんだったりツグミ工芸舎さんの様な人が増えたら楽しいだろうなって。同じこと言ってるけれどさ。

近:「楽しいでしょうね」

名:大変だろうけど。

近:「そのお店に行く事によって、そのお店を訪れる楽しみであったりもあるけど、そこから自分の住んでるところとは違った地域性を知る事が出来るじゃないですか? 全国にそういったお店が、何にもない様な場所でも作り手さんが住んで、小さなお店でもいいからあれば、その地域にもいいですよね、知って貰う為に。だから、山口には近い内に行きたいなとは思ってます」

名:観光の仕方も変わるだろうね。そうなると。

近:「観光ガイドには載ってないような自分なりの観光ができますね」


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名:何か植岡さん、聞きたい事はありますか?

植:『健康より』にも出てくるキーワードですけど、『健康的な物づくり』ってあるじゃないですか? そこの話を今一度、近藤さんの言葉で聞きたいなと思って。それはどういうもので、近藤さんはそれに対してどう思っていて、どう大切にしているか?

近:「いい質問ですね(笑)それは安心出来る物」

植:安心出来る物?

近:「使ってる材料なり、自分ですべて把握出来る物を使って、それが仕事と暮らしと密着している物。それが僕の考える『健康的な物づくり』だと思います。というのは、自分で仕事してて、原料なんかも、色んな種類が売ってて買ってきたりする事もあるんですけど、安全かどうかよくわからない物が売ってるんですね。それをそのまま飲み込むと毒物だったり。そういうのを使って綺麗な色とか出せたりはするんですけど、どうしても制作してる途中で釉薬の残りなんか捨てないといけない時があって、捨てるってなった時に、そんな得体の知れない物を捨てると、環境に一体どんな影響があるかわからないじゃないですか? だから自然に還る事が出来る物を使っていきたいなと思ってます。話大きくなってしまいますけど、例えば原発、あれなんかそれこそ処分出来ない物を産み出してしまうじゃないですか?」

名:自分でどうにか出来ない事はしない。それはどんなに便利であっても駄目ってゆうこと?

近:「便利さって言葉を最近よく意識するんですけど、便利の裏側には何かが必ず犠牲になってる。その犠牲になってる部分を最近気にする様にしているんです」

名:便利や効率的なものを目指す故に犠牲にするところを救いあげていく。

近:「そうですね。犠牲にしてしまったところを救いあげていく。そういう道を選んでいったら、自ずと自分で取って来たりする事になるのかな。気持ちが安心出来るかどうかって部分が大きいですね、デザインの魅力とかよりも。捨てれる物、捨てても安心な物づくり」


名:最後の質問です。今後の目標を教えてください。短・中・長期で関係なく。

近:「今は一歩ずつ階段を上ってる感じですね。自分の作ってるラインナップがある程度固まってきたので、そこから一つ一つをより良い物になるように発展させていったり、釉薬なんかもより自分の求める雰囲気になる様に変化させていったらいいなって思ってます。目の前にある事をホント一歩一歩やっていくしかないなって思います。そして結果作った物がたくさん売れてくれたらベストなんですけどね!締めに商売の話になりましたね。これは端折るかな(笑)」

名:器をつくる人間として当たり前の事を当たり前にやってく。

近:「そうですね。そして理想とする暮らし、長々としゃべって来たんですけど、その暮らしに近付くように一歩ずつ、やっていくしかないなって思ってます、はい」

名:以上?

近:「以上です!ありがとうございました」

名:ではこれで御終いです。

一同:お疲れ様でした。


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※アトリエ訪問インタビューへのご意見・ご感想は下記mailまでお気軽にどうぞ。



ARTS&CRAFT静岡

shizuoka@tezukuriichi.com





 




アトリエ訪問:こばやしゆう 後記


こばやしゆう アトリエ訪問 編集後記



ゆうさんとの対話を通して気付いたことがある。

それは僕の言葉が、どこか街の匂いがするということ。

僕の言葉はどこか区画されたプールに似ていると。

ゆうさんの言葉と比較するとそれは実感としてわかるのだけど、彼女の言葉の背景には広い場所を感じさせるものが宿っていると僕は感じる。

初めてゆうさんに会ったその後、僕は海から帰って来たみたいな感覚を覚えた。そんな感覚を覚えさせるものがゆうさんの言葉には宿っていると。

片や僕の言葉といえば、東京の、府中の、北山町的なものがあるのだなと言うことに気付いた。

何かを考えること。それは思考の旅のようなものだ。ならば僕の思考は、僕という25メートルプールを懸命に往復しながら、距離を稼いでいるだけなのではないか?

例え3キロ泳いだとしても、それはやはり区画されたプールでの事なのだ、と今に思う。

僕の思考にはどこか枠があったと。


ゆうさんが言う。

ものをつくっているとパターン化して来る。例えば器なら、窪みのあるもの、真っ平らなものなど、ある程度の限定が出来ていると。でも、海に来て、一回として同じ波はないんだからと考える時に、自分の器はこうあるべきだっていう枠が外れていく。そんな風に海は枠外しの達人だと思うと。


ゆうさんとの対話は実に動的なものだった。海が、同じ波を二つと作らないように、ゆうさんは二つと同じ言葉をルーティン的に語らなかった。

言葉が生きているとか、よく言われるけど、ゆうさんの場合は、心がまず活き活きと生きているのだ。

それは『毎日ひとつ新しい事をする』とか『細胞が活性化する感覚を大切にしている』と語るゆうさんの、そんな生活の仕方が、生きた言葉を、枠を感じさせない言葉を発する源となっているからかもしれない。

そしてその対話は実に型のないものになったと思う。それが今までのアトリエ訪問とは違う点の様に感じた。ゆうさんらしいインタビュー記事になったと思う。

そんな対話を通じて、僕の枠も少し外れたかなと思う今日この頃である。



うえおかゆうじ



※こばやしゆうさんのアトリエ訪問インタビューは「こちら」をご覧下さい


ARTS&CRAFT静岡





第9回アトリエ訪問インタビュー:こばやしゆう


先日お邪魔してきましたアトリエ訪問、こばやしゆうさんのインタビューが掲載されました。
今回も強烈に長い記事となりましたがご覧下さい!!



今回のインタビューはQ&Aというよりも対談、対話に近いものとなりました。
話題は多岐に渡り、時に甘酸っぱい話も出て来たり(いや、情熱的か)、赤裸々な記事となっています。いやあ、楽しかった。

名倉哲





アトリエ訪問:近藤康弘さん

こんにちは、名倉です。
先週末の土日は栃木県益子に暮らし作陶をしている近藤康弘さんの工房へお邪魔してきました。
作品のこと、これからのこと、自身のものづくりのこと等々聞かせてもらいました。
アトリエ訪問インタビューは8月末のアップを予定。
ひとまずはアトリエ訪問時の写真をご紹介。

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上の器は近藤さんの新たなラインナップで、改良を重ねているオーバル皿。
使いやすさだけではない使うことで楽しめる器だと思います。

記事は「東京のブログ」でも紹介されておりますので宜しければご覧下さい。


名倉哲
 




アトリエ訪問:こばやしゆうさん


先日、静岡に住まいと工房のあるつくり手、こばやしゆうさんのところへ行って来た。
以前にもスタッフと共にお邪魔してきましたが、今回は「アトリエ訪問」という目的を持って。

とはいえ、目の前の松林でお茶をしたり、海で泳いだりと半分以上は遊びだった。
遊びの中に挟まれる小さなお話は返し返され対話となる。

ゆうさんは対話の人だと思う。
普段はひとりで生活し、制作をしているゆうさん。
作品と対話することは自分との対話。
相対する目の前の人間がいる時、自分との対話と離れ、自分とは違う個と「対話」をすることで、自分に対しての鏡を生み出しているのだと思う。
それはきっと、私にとっての対話も、鏡を生み出すこと(自然と生み出される?)と同じと思うし、だからこそアトリエ訪問の機会を設けて様々なつくり手のもとに訪れているのだと思う。

今回のアトリエ訪問インタビューの公開は20日後を予定。
どんな記事となるかはライターのうえおかさん次第だけれども楽しみだ。
(ほかアトリエ訪問時のことは「東京のブログ」をご覧下さい。) 

週末は静岡スタッフとの月イチ会。
新たに参加する事になったスタッフの自己紹介の場であり、すでにいる皆とのご対面の場。
とんぼ帰りとなるけれども良い時間を過ごしたいと思う。

 本開催は10月13・14日!!

名倉哲





アトリエ訪問、埼玉・蓮田へ



12月22日、仕事を早めにきりあげ、埼玉・蓮田で作陶をされている前田美絵さんのアトリエ訪問でお邪魔してきました。
アトリエでは撮影から始まり、ライターのうえおかさんとサントラ制作のユキくんと共にインタビュー、そして実際の制作、釉がけをしてもらったりと長時間にわたるものとなりました。
インタビューでは、特に前田さんの動く事への意識を感じ、またそうした前田さんの態度があるからこそ、彼女の作陶への姿勢と造形が形作られているの事を垣間みる事が出来ました。実際のインタビューの記事は、年明け第2週の週末頃のアップを予定しております。
是非ともご覧下さい!




※記事本編は「こちら」よりどうぞ。

名倉






アトリエ訪問【ANDADURA】益子編

第七回 アトリエ訪問 ANDADURA

話す人:ANDADURA/山本→山
聞く人:名倉→名 ライター:植岡→植 サントラ制作:ユキ→ユ

名:今回のアトリエ訪問はANDADURAの第二回目になりますね。前回は初めてのインタビューだったのでアトリエのことを重点的に聞いて。今回は二回目ということもあるので、アトリエに関してはもちろん写真でも紹介するんですけど、それと併せて『お財布のように工房を』を参照して貰って、アトリエを中心というよりはそうでない形で。全体的な流れとしては、登戸から益子へ引っ越して、いちからアトリエをつくって、避けられる話じゃないので…震災がやって来ました、震災以降、個展の開催を終えた今、これからANDADURAとしてどうやって活動していこうと思っているか? というのが流れですね。
山:「はい」
名:なので、インタビューってよりも、フリートークな感じで。山本くんからも何かこう、都内に住んでいる僕らとの違いというか、質問とかあれば聞いてもらってそれにこちらも答えてくという感じでやっていきます。じゃ、まず最初に、登戸から益子へ引っ越して、一からアトリエをつくる、引っ越した当初、どんな心境であったか?で、アトリエをつくりながら何を考えていたか?それをお聞かせください。
山:「ここに来たのが一月の二十日頃なんですけど、実際に物件を探しはじめたのが、去年の夏くらいなんですよ。前のアトリエ訪問でも、益子に引っ越したいって言ってて、実際本格的に探し出したのが七月くらいで。ずっーと登戸でやってくと家賃の高さとかもあって、足元の仕事が出来ないという危機感みたいなものは感じてたんですよ。どんどんどんどん、つくって売って、つくって売って、って回していかないと、ずっとは厳しいなっていうのはあって。登戸に住んでて三年くらい経った時に、ずっーとそのペースでやっていくと、多分どっか、やりたくないこともやってそうな気もするし、あまりよくないことだろうなぁと思って」
名:自分が歯車の一部になるという?
山:「そうです。やっぱそこで本当に暮らしてくってことで、なんか改ってというか、足元の仕事って結局あんまりお金にならない仕事じゃないですか? 僕の場合、つくって買ってもらうことで生活しているので。そうじゃなくても今までやって来たことを見直すとか、ゆっくり時間かけてこう、例えば事務とか、管理する仕組みをつくるにしても、そのへんきっちりやろうと思うと、時間をかけて。本当にやりはじめてすぐなので、その辺のことをきっちりしたいなとなると、家賃の安いところに引っ越して、そこでじっくり足元仕事をやりたいなと思って引っ越したんですよ」
名:この益子の物件を見付けるには通いながら?知り合いの所に泊まりながら?
山:「益子に大学の友達がもともと住んでて、で、その友達に物件探して貰って、そうするとこの物件は彼の知り合いがもともと住んでて、でもう空いたからって教えて貰って、それを益子に見に来てすぐ決めたという感じですね」
植:即決?
山:「一応即決というか、彼女がどうするかで一回見て貰おうと思ったんで。僕は気に入ったんで、すぐにとめといてくださいって言って、それで彼女にも見て貰ってオーケーだったんで、すぐに決めました」
名:この建物の第一印象は?
山:「第一印象は、厳しいな、と思う所もあったんですけど、まぁでも、外観も可愛らしいし、全然いいなと思って。ちょっと離れに工房がつくれるなっていう、あの辺も魅力でしたね」
名:生活の場と、工房を分ける。
山:「そうです。前のところは敢えて分けずにやってたんですけど、やっぱ次は分けてやろうかなぁって思って」
名:それもやっぱ足元を整えることに繋がるという?
山:「色々試した試しで良い形になればなとは思うので」
名:それで引っ越して、生活をしながらアトリエをつくって、3月11日の地震、そこから8月の個展に至る迄のことを聞きたいんですけど。ここってものすごく、たかが半年であっても、すごく色んなことがあって、色んなことを考えたと思うし、本当にセンシティブな話なのでざっくり山本さんに全体をどうでしたか?って聞くよりも、こちらから少しずつ質問をしながら話を進めていこうと思います。
山:「はい」
名:いくつか質問事項をあらかじめ考えてきました。それは絞ったり絞り切れなかったりとかたくさんあって。一応、いくつか用意したんですけど、それも全部聞くかといったら、その時の流れでって考えてます。3月11日、地震が起きて、自分が知り得る状況を知って、まず何をしましたか?
山:「『お財布のように工房を』にも書いたんですけど、工房が出来たのが地震の二日前の3月9日で」
名:出来たばっかりですよね。
山:「これからって時だったんですけど、地震が来て。最初は結構揺れたんですけど、そんな大きなことになってないだろうって。あんまりニュースも入って来なかったので」
名:この辺って震度何くらいだったんですか?
山:「震度5強かな?」
名:ああ、そんなに東京と変わらないですね。東京もだいたい5強くらいあるって言われてるから。
山:「それでとりあえず状況とか見てると、なかなか原発のこともあり。ホントに出ようとかなって思ったのも、地震が来てその夜とかにずっと電気が来てなくて、真っ暗だったんですよ」
名:完全に停電して。この辺り一帯ですか?
山:「そうです。この辺り一帯真っ暗で。で、その真っ暗な中でずっと余震が来ていて、常に、余震、余震できてると、今回すごいなんか不吉だったんですよ。嫌な予感がして、何て言うんですかね?個人的に揺さぶりかけられてる、みたいな。一日こう真っ暗な中でずっと余震味わってると、ホントそんな気分になって来て」
名:お前どうすんだ?みたいな・・・
山:「個人的な揺さぶりですよ。ホント、一人一人が向き合わななきゃいけないんだな、という感じの気持ち悪さですね。ホント、嫌な予感があったんで、次の日、ネットが回復した後に、ニュースで原発のこととか見ると、前の日にすごい嫌な予感もあったし、だからこれは厳しいなと思って。それで益子を出ようかなと思いましたね。益子を14日に出たんですよ。三日後ですね」
名:11日の金曜日に地震が起きて、それから三日後。
山:「そうです。その位の時期って」
名:確定申告?
山:「ギリギリぐらいで、金曜日になんとか終わらそうって思ってたんですけど、電気もなくて全然進まなくなって、気分的にもそんなニュース見ながら確定申告なんて」
名:やってらんないですよね・・・(苦笑)
山:「こんな時に、こんなん、やってられっかって感じだったんですよね」
名:ホントにその通りです。
山:せっかくちゃんとやんなきゃなと思って。月曜日になんないと税務署が開かないので、その日迄は帰らないなというのがあったんですよ。でも、税務署はクールじゃないですか? 出さなきゃ出さないで、まぁその辺なんとも言えないなとも思ったので、それを月曜日の朝に出して、帰りましたね。ホントはその前の日に出たかったんですけど、その時結構危機感があって、14日になったらもう出れないかなってなんとなく思ってたんですよ。13日が結構ギリラインかなとか思っていて、電車とかも厳しいし、あまり悠長にしてられないなと思って。確定申告をなんとか嫌々終えて、それですぐに帰りました」



名:益子ってこの町、物づくりがすごく盛んじゃないですか?陶芸のほか色んな人がいると思うんですけど、ここでつくることで生計を立てている人がたくさんいると思うんですよ。もちろん、山本さんの周りにもたくさんいるだろうし、それは規模の大小関わらず、当たり前なんですけど、大きな損傷、損壊があって影響があって、特に陶芸の人たちは、やっぱりその地場で物をつくってっていうのがあって、やっぱりそこから離れられない人って絶対いると思うんですよね? 離れたくても離れられない。つくることと生きることが直結してるから。お金の面でも。その比較じゃないですけど、山本さんは、確定申告を終えて、ひとまず出て行こうって。そこで冷静に、第三者的に、比較とかって何かありました?自分自身と、出て行けない人たちっていう。それは良い悪いじゃなくて、個人が向き合う以外ないっていう前提で。
山:「僕の場合は本当に、予感みたいなものもあったし、実際に被爆とかすると僕は絶対にこう、自分が出なくて被爆しちゃったら、どっかを責めて、誰かに責任を求めるようになるかなって、本当にそれが嫌だったので出たんですけど。まぁ、実際物づくりしてる人とかじゃなくて、近所のみんなは普通で、大丈夫大丈夫って感じで。うーん。何が違うんでしょうね? なんでしょうね?」
植:その時、近所の方とかと、地震や原発のことを話す機会っていうのがあったんですか?
山:「ありますよ。地震が起きてすぐにみんな外に出て、大変だねとか言って。瓦も結構ひどいことになってたりして、そんな感じで話してたりとか。その日に珈琲つくって持って来てくれたりとか。そんな中でみんな、どうするこうするは話したんですけど、その時くらいで、地元に帰るとか、出るとかは全然聞いてなくて、みんな、そんなに大きなことになってるって感じもしていなくて。その時、物つくってる人とかでも連絡して、出る人とか何人かいたりして。もうやばいから出るよって言って。そうですね、僕は広島に生まれて、原発や放射能とかに対する危機感が強いのかなぁっとも思いますけどね。
名:原発のこととか放射能のこととか、広島だと小さな頃からそういう話を聞くものですか?
山:「聞きますね。原爆資料館に行くとなかなか。遠足とかで行ったりもするし」
名:修学旅行って行ったりもしますよね?
山:「行きますね。バスとか乗ってると、横のおじいちゃんとか、戦争の話とかしてくるんですよ。あーだった、こーだったとか。そんな中にいると、その辺の意識は高いというか、昔から考えてたことなんで、その辺の危機感はありましたね」
名:3月14日に確定申告を終えて、一時避難ですよね?
山:「そうです。一時避難で名古屋に行きました。彼女の実家に行って、十日間名古屋に居ましたね」
名:その十日間でどんなことを考えてましたか?地震が起きる二日くらい前に、アトリエがようやく完成して、さぁこれからだって言う時に地震が起きて、出て行こうって決めて。それって、人に何言ったところでわかって貰えない葛藤とか苦悶とかすごくあると思うんですよ。それは天災、原発のことに関しては天災じゃないんだろうけど、まぁそれはもうどうしようもないし、この十日間で色んなことを考えたんだろうなぁっていうのは。
山:「とりあえず、ずっとニュースを見てましたね。出たときは五日くらいで戻れる様になるかなって感じで出たんですよ。一応、もしかしたら戻れなくなるかもしれないな、とも思いながら、家の中で持って帰ってくるものを持って帰って、戻れないかもなって感じで出たんですけど、でもどっかで希望的には、五日くらいで戻りたいなっていうのはあって。なんとか状況良くならないかなぁって、ずっーとニュースを見てて。この十日間はホントになかなか長くて、きつかった感じもしますね。特に仕事のことで、あれやろう、これやろうというそんなアイディア出したりとか、そんな感じでもないんですよね。
名:それはそうですよね?
山:「ホント、またいちからだなぁって、ずーっと思ってました」
名:いちからというか、ゼロからですよね。
山:「またまっさらになったって感じでしたね,。これから色々やろうとしてることも多分出来ないかなぁと思ったり、実際ホントそれが厳しくなった時に、自分自身のやり方もどうなんだろうなぁって思いましたね」





名:丁度僕らその頃って、3月18日に手創り市があったんですよ。で、地震が起きて、まぁ一週間後、十日経ってないですよね? で、開催するのかどうかっていう色んな問い合わせがあったり。その時点では開催しますってことにしてあって、ただ状況によっては当然変わるっていう。絶対開催じゃなくて、変わることも充分あり得る、という表向きに話というか、ホームページ上にはそう書いて。手創り市に出てる作家さんというのは、やっぱり好きでやってるとか、今は仕事をしているけど、これからはつくること一本で食べていこうとか、たくさんいると思うので、僕らが何言おうが、最終的には自分で決めることだと思うんですよね?仮に僕らが何がなんでも開催ってなったとしても、そんなことありえないですけど、でもそれは自分で選ぶものだと思うんですよ。出るか、出ないかっていうのは。それを僕がこうして言っちゃうと、それは違うんじゃないか?って言われるのは当然思うけど、でも自分で向き合うしかないと思うんですよね。自分でやってる以上は。つくることとか。これからのこと含めて。そういう意味で、都内のイベントとか、都内じゃなくても、遠い関西とか、東海地方とか、そういうとこのイベントでも地震があった瞬間にすぐ次の日には中止にしますっていうようになってて。それって、僕個人的には違和感があって。何でかっていうと、怒られるのを承知で言うと、何も考えないじゃないですか?中止ってなった瞬間に思考回路が停止するっていうか。そりゃ中止に決まってるとも言えますよ、誰もわかんない事だから。だから判断がまずいんじゃなくて…具体的に何が違うのかって違和感はうまく説明できないけど、考える時間っていうのは絶対必要だなって思ったんですよね。それは何でかって言ったら最初に戻るけど、自分自身が最終的に答えを出すことだから。一応、3月18日の開催二日前に、リミットを決めて、ここで決めますって、出展する人には、個人個人にメール送ったり電話したり。そこで、その時点で、もう出ませんって人もいたし、考えますっていう。その中でこう、中には僕自身が考えてたこと、僕のワガママだと思うんですけれど、各自みんなそれぞれ考えようよっていう、そこをわかってくれてる意識がとてもあって、それぞれ住んでる場所が違って、普段の生活が違う、やってることも違う、けど手創り市の場に出てるってことは一緒で、だから事務局の人は事務局の人で本当に考えて欲しいし、私たちは私たちで本当に沢山の事を考えなくちゃいけないなという。そういうやり取りがあったんですよね。それは本当、鳥肌が立つくらい嬉しかったですよね。嬉しいって言っちゃいけないかもしれないですけど、そこでのやりとりはほんとに忘れられません。結果的に中止になって、ま、それは別に、自分の中ではこう結果論というか、結果が出ただけで、その過程がすごく大事だったなって、それは今も思うし、そんなことを考えてました。
山:「ホント、じっくり考えられたらそれはどっちでもいいって思いますよね?考えて、やる、出るにする、やらないにしろ、考えて出した結論だったら、どっちでも同じっていうか。まぁ納得はみんないくかなぁとは思いますね」
名:植岡さんはその時、何をしていましたか?
植:「震災アンケート」って手創り市がやったんですよね。以前、それに答えさせて頂いて、今日はそれ見ながら答えさせて頂きたいんですけど。震災後すぐに、体調がめちゃめちゃ悪くなってしまって、ストレス障害だと思われるんですけど。それがあったのと、原発の件が起こった時に、普段からメディアを信じていないというのもあったんですけど、内的にパニックにもなってしまって、もうどうしようもない状態になってしまったんですよね。そんな状態にありながらも、自分に何が出来るかを、強迫観念的に考える状態になっていって、それでまず、自分のブログに、震災のまとめサイトのリンクと、募金のまとめサイトのリンクを載せたんですね。実行力のある情報が載せたくて。それが微力ながらも出来る事じゃないかと思って。その頃には、自分の小説/作品に何が出来るか?とか、自分の作品がどんな力を持つのかを考え始めていて。僕の作品って、以前山本さんにも少し読んで貰ったんですけど、現実と向こう側の世界の繋がりだとか、向こう側の世界に行ってどうこうとか、そういう話が多いんですけど、それって、自分が簡単に死なないっていう前提がどこかにあって、そういうところがあったから、書けたんだなっていうことに気付く瞬間があって。
名:それは甘え?
植:甘えというか、本当の死に向き合ってなかったというか。実際、リアルな死が間近に迫った時に、余震が毎日あったりとか、そういう時に本当にきつかったんですね。で、数日緊張状態で過ごした後に、リラックスできる瞬間があったんです。それはFMラジオから流れた古いジャズを聞いている時だったんですけど、それまでは音楽は聞けなくて、それが切り替わって、すごく楽になれた。僕は金銭的にも体調的にもボラティアに行く事は出来ないし、募金も微々たるものだけど、僕のブログを見てくれている人や周りに人には、リラックスの素となるようなものは、提供できるんじゃないかって思って、ブログに、「アロハハワイ」って言うかわいい感じの詩を載せたりとか、穏やかな小説を載せたりしたんですね。それは書く事によって、僕自身も救われたかったのだと思うし、反響もあって嬉しかったんですけど。その後に、様々な不幸、例えば家族が病気を患ってしまって、とか、その時点でキャパシティオーバーになってしまった、という流れです。で、今回、名倉くんとアトリエ訪問に来る、震災の話は避けられないという話をしていて。
名:避けないのが普通だよね。
植:で、そこをやっていこうという話になったじゃない? そこで僕はどれだけ、向き合えるんだろう、というか、向き合う為にここに来たというのがすごくあるんですね。シャットダウンしていた情報とか、そういったものとかも、徐々に取り入れ始めていた時期だし、体調も安定して来ていたので、山本さんのリアルが知りたかったっていうのもあって、そこで突き詰めて、僕がまた自分を見詰め直す時間を持てるんじゃないか? と思ってここに来たというのが今の流れですね。
名:カウンセリングにやって来ましたと(笑)
植:(笑)
名:まぁでもあれだよね?ちゃんと人と向き合うっていうのは、それこそ自分にちゃんと向き合うってことだから、それはその通りだと思うかな。
植:うん。
山:「帰ってきつかったのは、あれですね。彼女が福島に住んでるんですけど、福島から名古屋に出ようってなって、それで彼女の実家に行ったんですけど、三日位した時に、「もう、村に戻る」って言うんですね。彼女も彼女で決心して出たんですけど、やっぱり自分一人が逃げたみたいな意識が働いて、危ない状況だけど戻りたいっていう、罪悪感みたいなものを感じていて。僕は戻らない方がいいからって説得するんですけど、何言っても伝わらないし、わからないし、なんて言うんですかね? そういうのってある程度までは場の声じゃないですか?自分で罪悪感持ってるように思えても、場から出た声を自分で感じて、自分で思うみたいな。で、毎回毎回会うたびに、戻る、戻らない方がいいじゃん、って。結局それ、自分で考えてるように思うけど、場の声ってゆうのも少なからず作用しているし、出たんなら出たんでその責任でもないですけど、出たら出たなりにある程度納得しなきゃ帰んないじゃんとか。僕はある程度落ち着く迄は、何日かは戻らないようにしようと思ってました。何日かすると彼女も急いで戻りたいっていうのも落ち着いてきたんですけど、それでも、出たことに対して、いろんなものを置いて来たという罪悪感も感じてたりして、そういう罪悪感ってどこからきてるんだろうって思うんですよね。感じ方というか、感じてる様に思わされてるのかもしれないですね。」
植:そういう回路がつくられてるっていうか?
山:「僕はその辺の罪悪感をなるべく感じまいとしていましたね。なかなかタフな十日間でした。あれは。友達とかにも会うんですけど、名古屋位になると、言ってもみんな地震のこととかの危機感もないし、そういうのがありがたかったり、ちょっと腹立たしかったり、でも一時的にでも離れられたのは良かったと思いますね。結局、腹立ちながらもすごい救われた部分も大きかったし、ずっと居たらどうなってたんだろうとは思いましたけどね。自分について言ったら、ホントにちょっと、ゼロからというか、ホントに厳しいだろうなぁって思いましたね。物とかも売れなくなるのかもしれないし、食っていけるのかなぁって。色々思いましたね。そういう時に、個人商店とかによく行ってたんですよ。大きいとことか名古屋に行ってもそんなに少ないんですけど、気分転換ってなるとちっちゃい個人でやってる個人商店とかに、ものすごい行きたかったんですよね。そういう所に行って、その人が選んだものとか見てると、なんかちょっと落ち着いたりして、そういうのって、その人のまともさっていうか、一人で考えられるところで一人でやってる所ってすごい落ち着くなって思ったんですよ。だからその時色々、あっそっか、こういう状況になって、もし自分が厳しくなるんだったら、お店とかやるのもいいな、とか思いましたね。そういう状況でもホントありがたかったので」



名:僕の知ってる手創り市に出てた作家さん、珈琲屋さんなんですけど、その方は地震があって、一時は休んでたのかもしれないんですけど、ま、再開して、それ以降手創り市には出ないようになったんですよね。これは、当人から、ちょっと時間が経ってから聞いたんですけど、自分の中で考えたのが、その人たちの中でたぶん、震災があって、みんなどこに行く訳でもなく、家に居て、テレビ見て、表出て。たぶん、普段来ない人がお店に来たんだと思うんですよね? 珈琲屋さんやってて、今迄は通り過ぎて、何だろう?って位だったのに、やっとその時に扉を開けて入って来た。それってお店の人にとったらすごく人の役に立ってるっていうか、嬉しいというか、そういうのがあったと思うんですよ。でまぁ、ある時、違う別件で話をしにいって、で、そういう話を僕自身思ってたんでその人にしたら、今迄は色んなイベント出たり、呼ばれればひょいと行ったり、すごいフットワーク軽くやってて、お店とイベントが、半々じゃないにしても、イベントも色んな意味で無視出来ないところがあったと思うんですよ。地震があって、お客さんが来てくれるようになって、お店の中で出来る事、自分のお店なんで、そこでやれることってたくさんあると思うんですよね? そういうのを今迄頭の中ではわかっているけど、本当に自分でやった訳じゃなかったから、その一週間とか十日間とかで、その人はホントにこう、お店でやることってことを本当に考えたって言ってましたね。
山:「ホントになんか、そう考えると、個人でやることに希望はあるなって僕も考えてましたね。そこに行ってそれだけ、安心感でもないんですけど、一人がこうやってまともなことってなかなか、行って安心するし、すごいいいなぁって思って。最初の質問はこれなんでしたっけ? 地震が起きてから、個展を開く迄の流れなんですけど、その時に考えたことをその後も結構やってるんですよ。話し飛びますけど、6月位に、仕様を一時期見直してたんですよ。一回自分の中で素材を改めて見直して。一年間やってると、良い素材だなっていうのはサンプル帳とか取ってて、この素材いいかもなぁ、このファスナーいいかもなぁとか取ってたんですけど、新作つくるって、簡単? っていうか、つくったら出せばいいじゃないですか? でも素材見直すってなると、今迄やってたこと全部覆すことになるし、店舗さん側も変更しなくちゃいけないし、全く違う物になるから、素材の見直しってサンプルとか取りながら良くなるかもな、ってのがあっても、やっぱちょっと置いといた部分があるんですよ。糸変えるとか、結構がっつりな変更になるので、なかなか良くなるかもなというのがあってもなかなか踏み出せずに居たんですけど、震災の時に、自分も再構築が必要になるなってすごく感じたんですよね」
名:それは自分が欲しいと思っている材料が買えなくなるとか?
山:「その危機感もすごいありましたね。まぁ、それとは別にやっぱ、まともさでもないんですけど、きちんとやって、結局自分も自分に何が出来る? って言った時に、まともに? まともに、まともにですかね。ホント、きちんと伝わる形にしなきゃなってのはありましたね。だからそれまで、なかなか踏み出せなかったですけど、その辺も一回、時間をかけてたっぷりやろうって。それをずっーとやってたんですけど、結局戻ったのが、24日に戻ったんですよ。一回名古屋に出て、24日に戻って、ホント、結構二ヶ月くらい止まってたって感じですね。注文が来てつくるだけで、新しいことは全くせずに、何となくニュースを見たりとか、なかなか不安定な中でそんなに前に行けずに、二ヶ月くらいやって、そこから何するかってなって、じゃ再構築するかって思って。一回素材も集め直して、新しくしたって感じですかね。で、個展っていうのも、一回新しくしたものを見て貰う場所って感じで、一連の流れと言えばそういう流れがあるような気もするんですけどね。その流れがなかったら、結構頭の中では、全然違う事をしようと思ってたんですよ。帰ってから、今迄の定番じゃなく、もっとツアー的に楽しい見方が出来るような、展示会を日本で、点々とやりたいなって思ってて、その辺も、やっぱこれはいいやって思って、全く別の方向に、新しく見直すってやって、ホント今年に入ってから、新しいこと全然やってないなと思うんですよね。ホントずっーと足元のことばかりやって、ようやくそれも一段落ついたかなって辺りが、展示会が終わった辺りですかね」
名:でも、仮に震災があったとしても、自分自身足元を整理しようと思ったことは、しっかりやれてる訳ですよね? ちゃんと自分の考えに従ってというか。
山:「そうですね。一年やったら、三ヶ月位は足元を見る時間をつくりたいと思いますね。どんどん忙しくなってくると、そんなにまとめて時間は取れないと思うんですけど、曜日でもいいですし、ここは、足元のことを見直す時間ってあった方がいいと。一回やり直してみるとそう思いますね。そういう時間って本当に必要だなって。僕自身も長くやりたいってのがあるんで、足元をきちんとしたいと思うんですけど、とりあえずは十年やりたいなというのがあるので。益子に引っ越して来た理由もそれですしね。足元のことをすごく固めたいって感じてたんで。最初の目標では、最初の三年間は足元の土台をしっかり固めようって決めてたんで」
名:話変わりますけど、八月の個展は、どうでしたか? ざっくり聞きますけど。色んなお客さんとか、色んな声とか。個展って初めて?
山:「初めてです。初めてなんです。今迄イマイチ個展が落ち着かなくて、箱一個借りてその中が全部自分の世界観どーんみたいな感じがあんまり落ち着かなくて。なんか抵抗あったんですけど」
名:そんな個展をやるきっかけなんですけど、お店さんから声掛けて貰ったんですか?
山:「ずっーとこう、やりましょうやりましょうっていう風に言って貰ってて。それで僕もタイミング的に、六月の頭くらいかな、向こうの84(はちよん)ってお店なんですけど、8月4日オープンだったんですよ。で、僕8月7日生まれなんですよ。そのお互いの誕生日から誕生日の間になんかやったら面白いなって、単純に。僕自身も新しく素材を見直したりして、生まれ変わるじゃないですか? そのタイミングでやるのは貴重だなと思って。で、僕もこんないい時期があるんで、一緒に出来ないですか? って言って。曜日もドンピシャだったんですよ。水曜日が定休日なんですけど、木曜日から、日曜日なんですよ。そういうのがあって、ああもうやんなきゃなって。そんなゴールデンタイムここしかないぞ! で、そういうのもあったら乗って来るじゃないですか? 自分で勝手に見出して、そこがなんか楽しくなって。三日間お店に居たんですよ。個展ていうのはやるのもいいですね。たまには」
名:直接お客さんと会って、話が出来るし。
山:「そうですね。結構がっつりいって色んな話も出来たし。意外に広島が、地元なんですけど、展示会に行って広島も面白いなって思いましたね」
名:それまで面白くないと思ってた?
山:「いや、面白くないっていうか、単純に知らなかったですね(笑)色んな人が居て。大学から大阪に出ていたので、その位離れるともう地元の人のこととかも殆どわからなかったので、今回帰って本当に面白かったですね。個展もそうですし、このお休みは色んな人に会って、色々話して、なかなか良かったです」
植:その中で特に印象に残ってる話って? ぱっと思い付く限りでいいんですけど。
山:「うーん。印象ですね。やっぱ自分がこう、つくってても買ってくれてる人がどんな人なんだろうってあるし、そういうとこ込みで全体的に見れるのがいいですね。あと、きちんと伝わってるんだっていうのが思えて、それが一番いいかなと。手創り市とかに出してもそうなんですけど、あぁ、やっぱ伝わってるとこにはちゃんと伝わってるんだなって。そこが一番ありがたいですね」



植:「ANDADURA」、「歩く」という屋号と共につくり続けて来てですね、今改めて、山本さんにとって「歩く」という言葉はどんな意味を持っていますか?
名:でかいねー。でかい質問ですね。
山:「うーん。「歩く」は多分、僕の場合、「つくる」に置き換えていいと思うんですけど、まだ早いと思うんですけど、肩の力が抜けて来てますね」
名:ホントに早いですね!(笑)
山:「やっぱ早いと思うんですけど、抜けて来てますね。早くも」
名:でもそれ、自分で言いながらも早いって思ってるのって面白いですよね。
山:「いや、早いと思いますね。友達にも大阪で会った時も言われましたしね。どんどんどんどんつくり込んでいって、最近はホント、力抜けて来たよねって言われるんですけど、確かにそれは感じますね。肩の力が抜けてあんまり意識しなくなったなっていうか」
植:意識しなくなったって言うのは?
山:「つくることとかも、そんなにすごいかしこまってこうだ! みたいのはあまりこう感じずに、何かもっとすーっとした感じになって来たと思いますね」
名:そうですね。それこそさっき、つくってるところを写真撮らして貰って見たけど、ホントに、写真撮ってる前提でつくるんで、見やすくとか、撮りやすくって普通考えるでしょう? ぎこちなくなるのが普通かなと思ったんですけど、全然、自然な感じでつくってましたよね?
山:「その分、写真撮りにくかったと思うんですけど(笑)」
名:ちょっと手ぇどかせ!とかね(笑)思いましたけど、それは言ってもね、写真に写らないことの方がいい事って多いからね。
植:一連の創作の流れの無駄のなさというか。「∴つづる」の方にも書いてあったんですけど、つくるなら効率を求めたいっておしゃってるじゃないですか? それをすごく感じたんですよね。
山:「サクサクつくれた方が気持ちいいですし、サクサクつくれた方が、時間かけたい所に時間かけられますからね。なるべく気持ちよく作業したいっていうのも、すごいありますしね。ある程度迄は、自分で考えて効率化するんだったら、いいことだと思いますけどね。ホントに全部が全部がってやると、違う物になると思うんですけど、どこを効率化して、どこをしないか?っていうのは、きちんと考えてやれば、なかなか、気持ちよくつくれると思います」
植:吉本隆明さんの仕事論、あったじゃないですか? 美味しいお茶の飲める綺麗な職場がいいんじゃないか?って。で、山本さんもそういう工房を目指したいということをブログでおっしゃってましたけど、その辺ではすごく気持ち良く作業出来てるなって僕は感じたんですけど、それは自分では、満点が来るかどうかはわかりませんけど、いい感じに収まっているんですか?
山:「全然文句なしですよ。大分先まではとりあえず文句はないと思います。たぶん小物つくるだけにはすごく立派過ぎる位の工房だと思うんですよね。机が二個あったりとか。小物だったら机一個で、もうちょっと小さい机でも出来るじゃんとか思うんですけど、あそこまであると、この先じゃぁ、鞄やってとか、色んな素材扱っても、変えなくても出来る位、なかなか懐のでかい工房だと思います」
植:おおー!
名:言いますね(笑)
山:「(笑)」
名:自分で言っちゃいましたね(笑)
山:「(笑)」
名:あ、帆布で気になったんですけど、僕、帆布を期待してるんですけど、いつ完成ですか?
山:「僕も早くやりたいなと思うんですけど、今年の一月くらいから、やる、やる、って言ってたんですけど、まぁでもその辺の順序を変えて、先に、今迄の見直しやろうで、それを後回しにしてったこともあるんですよ。そうですね、早くつくりたいですね、帆布。ちょっと時間が掛かりそうですね。11月の頭くらいまで色々とあって、その合間にできれば良いと思うんですけど」
名:そこは急がない、と。
山:「まぁ気長に、気長にですね。頭の中でつくれるGOサインは出てるんですけど、つくっていいよっていう? そっからどんどん時間経っちゃうと、どんどん自分が飽きてくるんですよね。GOサイン出て、丁度新鮮な良い時なんですけど、どんどん発酵しちゃって、変な感じになって来て」
名:違うGOサインになっちゃう。
山:「でも、早くつくった方がいいなというのは感じてるんですけど。あんまり完璧完璧にスケジュールは、思い通りに行かないですけどね」
名:うん。その通りですね
山:「まぁ、その位が丁度いいかなと思いますね。あ、ユキさんなんか、うんうん言って何もしゃべらないじゃないですか?」
ユ:そういう、役割なんです。
山:「(笑)」
ユ:勉強してるんです。
山:「勉強してるんですか?」
ユ:はい。



植:じゃ、山本さんに質問で、「工房の力」って言葉がありますよね? それについて聞きたい。
山:「うーん、なんでしょうね。なんでしょうね。「工房の力」ですね。工房は……。結構ざっくりしてますよね?」
植:ああ質問の切り口がですか? あの、ブログを引用させて頂くと、「24日に益子に戻り、工房にただ身を置くことで、少しずつ日常が戻って来た。それは「工房の力」だと思う。」という風に書かれたんですよね。その時の、そこにあった「工房の力」。例えば、工房ってつくる場所じゃないですか? 自分の分身を産み出すみたいな場所的な意味もあるんで、そういう、特別な落ち着きだったりとか、身体を動かすんであれば、身体を動かしている時の無心になる感じだったりとか、そういうものがありますよね? そんな切り口でいいんですけど。
名:事情聴取ですね。ブログに対しての。
山:「そうですね。単純にこう、やることも、やれる内容も気持ち良く出来るんで、あまり色んなことを考えなくても作業ができるってことはあると思いますね。もともと多分、工房つくる時に自分が、こんな感じでやりたいって希望を持ってつくるじゃないですか?だから単純にその工房に寄り添うと、なんかそういう自分の希望に寄り添うのと同じというか。そんな気分だと思います」
植:はい。希望に寄り添う。
山:「もともとつくった時の、気持ちをちょっとなぞれば。地震の後戻って、自分、前、どんな感じだったかな? とか、いつも通りってどんな感じだったけな?ってすごい思って、どんなこと考えてたっけなって、ブログとかもそうなんですけど、いつも通りに書こうとか思っても、いつも通りってどんなんだったけなって、前みたいに全然書けないなっていうのもあって。「お財布のように工房を」は多分、地震の前までに書いてるんですよ、最後の数回以外。また後で書くと全然違うし、あんな感じには書かなかっただろうなと思うんですよね」
名:それ面白いですよね?あそこに居る自分、「お財布のように〜」に居た自分と、今って環境を含め変化してるから。
山:「ちょっと時間が経ってからのアップが、逆に面白かったです」
名:ただ単に僕のアップが遅かっただけですけどね(笑)
山:「なんとなくそういうの見ながら、そっかそっかこんなんだったなとか。でも、こんなんだったなとか思いつつも、やっぱでも大きく変わったなって気はしますね。二歳位、年取った気がしますね。一気に。最近良く、老けた老けたって言われるんで。あの十日間で二、三歳年を取らされた感じはしますけどね。だから記事は結構、半分人ごとみたいな感じで見てましたね。
植:ありがとうございました。次の質問も、ブログからの引用なんですけど、「カルヴィーノ文学講座。イカロ・カルヴィーノ」。図書館時代(図書館に通い詰めていた時期)に、山本さんが読んだと思うんですけど、最近買いましたよね?
山:「買いましたね」
植:「私がしてきたことの多くの場合、重さからの離脱であった。」というのがあって、「この本に書かれている五つの視点、軽さ、速さ、正確さ、視覚性、多様性。ことあるごとに自分も色々なことに当てはめていたなぁ」と言っていて、文学の話だけど、関係なくしっくりくる。という部分と、軽さの重要さ、という所をご自身の物づくりに絡めて聞いてみたいなと思ったんですね。
名:今言った事って、そのまま工房でやってることだよね?
植:それを目の当たりにしたというか。
名:軽さ、速さ、正確さ、視覚性、多様性。多様性っていうのは帆布をこれからつくるってこともだろうけど。
山:「この五項目はなかなかすごいと思いますね。今とかだったら、「速さ」とかが若干どうなん?って見方されてるじゃないですか?でもそれは今の流れであって、よりもっと俯瞰から見たら、「速さ」かなぁって。すごい抽象的ですけど。
名:これはカルヴィーノ関係ないね。山本さんの話だね。ANDADURAは、そういうことですっていう。それに近い気がするけどね。
山:「そうですね。僕はホントに「軽さ」ですね。ホントに重たくなりたくないっていうのがありますね。ほっとけばどんどん色んな物溜まって来て、どんどん重たくなるじゃないですか? ほっといても。いかに軽く出来るか? そうですね。僕も、もともと逆から攻めるみたいのが好きなんですよ。
名:逆とは?
山:「最初に入った会社とかもそうなんですけど、すごい大手に行ったんですね。大手の設計会社とかにいて、その時とかも一番面白くないことしようって思って入ってるんですよ。結構それまでの二十何年間、大学の時に、今迄すごい面白かったなって思ったんですね。何もしてないですけど、好き勝手やって、すごい楽しかったなって。じゃ、こっからどう更に面白くしていくかって考えて、面白くして行く時に、自分が好きな個人事務所とか入ってると、たかが知れてるなぁと思うんですよ。それだったら、一回面白くないこと経験したら、また面白いことが見えるんじゃない?って思ったんですね。で、一番面白くなさそうな所に行って。そういう風に逆をしちゃうんですよ。それとかもそうだし、前の会社の工房とかも、個人でやりたいって思ってて、その時に決めたルールは「自分のことはしない」って決めてやってたんですよ。その会社の中でやって、自分のことはしないでおこうって。だいたい個人でやろうと思って工房に入る人って、自分の新作つくって、自分がその次にやる時ようのことやるじゃないですか? それ止めようと思ったんですね。その時は、養老孟司の言葉で、「一人で出来る人はみんなと出来なくちゃいけない。みんなとやれる人は、一人で出来なくちゃいけない」ってあって、多分、みんなと出来ないなと思ったんですよね。入った時は。みんなとやるのは無理だから、一人でやるんだったら、それで言うと逆じゃないですか? 一人でやるためにみんなとやるんだったら、みんなとやろうって思って。事務やったり、必要なことっていうか、誰もやりたがらないことをやってましたね。みんなそういう所行くと、自分でやろうって思うと、新しい物、新作つくろうってなると思うんで。結構ことあるごとにやることって、逆のことしてるなって気がしますね」
植:うーん。面白いですね。
ユ:慎重に考えて、ひとつの考え方だけで、ひとつの見方だけでいっちゃうんじゃなくて、やっぱり逆から考えるっていうのは、こういう考えもあるってことだから、そっちをまずやってみるというか。
山:「慎重っていうか、言ってみたらバランス論ですよね? 結局全部のことは矛盾してるじゃないですか?色んな人が、それ矛盾してるよって言うのは、その矛盾がわかりやすかったから、私はその矛盾に気付いたってことじゃないですか? その中で矛盾抱えつつ、ホント、カルヴィーノの言葉もそうですよね? 重さとかもあるけど、軽さにいく。立ち位置の問題じゃないですか? 軽さっていうのを認めてるんじゃなくて、重さの中で軽さを見出すことで、結局、これも軽さ論ってバランス論だと思うんですけど、なんだかんだで、なんかそうやってバランス取ってるんだろうなって思います」
植:片一方だけに振れる振り子にはなりたくないし、水平でいて、その振り子の長さが長くなればなぁっていう。幅を持たせたいっていう。どうなんですかね?
山:「いやーでも、結構楽なんですかね?一から、会社とかも楽しい会社に入って、より新しい楽しさ見出すのって、すごく難しい気がします。楽しいことやってながら、更に楽しさを見出すことって、どうなんだろう?できるのかなって気がしますね。結構、やることとかにそれは言える気がしますね。自分が感覚的なものをつくりたくなる程、合理的になっていくというか。感覚的に物つくろうって思って、自分がホントに感覚的になっちゃうと、絶対感覚的に物つくれないなって思うんですよね。逆からこういくと、なんかそれもいけるんじゃない? みたいなこともありますね。確かに目的はそっちなんですけど、逆のことの方が武器になる気がするんです。
植:感覚的に物をつくろうと思ったら、効率よくシステム的に作業しなきゃいけない。
山:「うーん。多分逆するって、自分自身の持ってる物の逆をするんですよ。もともとすごく感覚的なところがあると思うんですよ。だから感覚的な所はほっといとけば良いという位、何かつくる時も感覚的にならずに、実際的なことばかり考えてたらつくれるんじゃない? っていう。もともと、備わってるものだから。これは僕のやり方なんでわからないですけど、僕は常にそうやってる気がしますね。逆のことして」
名:それがバランスを取ってるってことですよね?
山:「うーん」
ユ:上手く伝わるかわからないんですけど、自分の感覚的な部分が心みたいなものだとして、逆の部分というのが身体的なこととか、時間的な制約とか、会社に入るとか、そういうことだとして、身体の部分を拘束するというか、ある程度制限を与えることによって、でも心は心であって、色々負荷をかけることで、強くなったり、我慢強くなったり、忍耐強くなったり、ちょっと楽しいことでもより楽しく感じられたりっていうのがあるんですかね? 心の部分をより感じやすくできるというか。
山:「なんでしょうね? すごい楽な感じもありますけどね。心とかに関して考え過ぎてても仕方ないなっていうのもあるんですよね。そうですね……。ちょっと質問の意図がわからなかったんですけど(笑)」
ユ:(笑)
山:「なんとなくはわかるんですけど、微妙過ぎるあれですよね?」
ユ:そうですね。



名:とりあえず、話の終着点がないってことで、次いきますね。先日個展を終了して今、29歳になりました。30手前ですね?
山:「30手前です」
名:これからANDADURAの永きに渡る展望というか、ま、ざっくりにね。当面何をしましょう?
山:「今は足元のこともしつつ、新しいこともやっていきたいなと思ってますね。まだなんか、走る時期ではないと思いますね」
名:走ったらね。「歩く」だらかね。走っちゃまずいよね。
山:「なんだかんだ言ってまだまだ、ちょっと過ぎてみるとぶれてるなぁって思うので。そんなこと言ったら本当に、足元のことばっかりやりそうで怖いんですけどね」
名:お爺さんみたいですよね?足元〜気を付けて〜みたいな。
山:「ずっとこう、過去にあったことをいじりながら」
名:それ嫌ですね。暗いですね。
山:「嫌なんで、ちょっと嫌かなとも思っているんですけど」
名:でも嫌だと思ってる人はそんなこと絶対しないと思うから大丈夫ですよ。
山:「いやでも、エイヤー! である程度見切り付けないと、なかなか先に……。ずっーと見てると、何かしらが先に気になるので、どっかで区切りつくらないとなぁって思いますね。とりあえず、最初の目標地点はあるんですよ。最初にはじめた時からあるんですけど、今定番が13型になったんですけど、26個迄つくろうと思ってる。最初からずっと思ってたんですよ。そこ迄は今のつくり方っていうか、今結構、ぱちぱちって、詰めてネジ締め作業みたいな感じでつくってるんですよ。肩の力抜いてってよりも、詰めて詰めて詰めてつくるっていうつくり方してて。なんとなくズッーと先に行くとその辺のつくり方も飽きそうな気がするんですよね。飽きるっていうか、ずっーとやってるとそのつくり方に執着したみたいになりそうで。とりあえず、26がアルファベットの数なんですけど、結局、個々の物つくりながら、全体でつくってる気がするんですよ。ANDADURDとして一個一個のものもつくるけど、全体を見て欲しいというのがすごくあって、そういう時に、アルファベットってそうじゃないですか? AとかBとかだけだと意味ないけど、それが組み合わさって意味が出来ていくじゃないですか?全体的なもので、そういう風な見え方になるので、ま、単純に縛りですけどね、26個で定着させるっていうのが。そこまでやる迄は、ネジ締めて締めてつくって、その時に「26」とかいう展示会をやって、使ってくれる人は個々の物を見て一個じゃないですか? そこは確かに外せない所だと思うんですけど、そうは言いながらも全体としては見て欲しいというのはあるので、それをやる迄はそこに向かって行こうかなって思ってますね。26個迄はネジ締めて」
名:アルファベットの26個っていうのは、言われた瞬間頭に入っちゃいますよね? 
山:「なんとなく全体を見てくださいねっていう見せ方も出来るし。はじめた当初に三年後にその位のことができるかなと思ってたんですよ。で、今一年半なんで、あと一年半なんですけど、もっとかかるなぁって気がしますね。こっからキャンバスの鞄をはじめて、キャンバス小物もはじめようと思って、でもそれだけだと多分足りないし、皮の鞄をつくりたいっていうのもあるので、その辺まで含めてたぶん26個になると思うんですけど」
名:そうしたら幅広いですよね?
山:「定番の数にしたらそんなに多くないと思うんですよ」
名:多くないですか?
山:「定番数にしたらそんなに多くないですよ」
名:一人でやれる範囲で?
山:「はい。多くないと思いますね。その辺迄やろうと思うと、この位立派な工房があると、そこまでだったら全然変えなくてもいけると思いますね。そこに行く迄は」
名:今ある工房は、定番26個サイズ?
山:「もっといけるかもしれないですけどね。そこに向かう迄は全然、あまり大掛かりなことをしなくても、きちんとやっていけるなという工房だと思います。僕も早くそこに辿り着きたいなって気持ちもあるんですけど、なかなかまぁ、ゆっくりゆっくりやって、実際のところ革鞄とか言っても、全く見えてないですからね。まだ。どんなのがつくりたいのかって。今の感じで革の鞄つくると、多分重くなるんですよ。結構がっちりした感じで、きちんとつくり込んでっていうと、多分、自分は使わないだろうなっていう鞄になるんですよ。自分はいつもぺらぺらな鞄持ってるじゃないですか。普段はそっちなんで、革鞄つくる時は、自分でつくる必然性でもないんですけど、そういう物が全く見えないので、自分が革鞄つくっていうのが全く見えないんですよね。最初からずっとどんなのにするか考えてるんですけど、今の所小物しかつくれてなくて、そっからキャンバスに入るのは、そこに向かう為の準備期間っていうのもあって。キャンバズは好きですごくやりたいっていうのはあるんですけど、なんとなくキャンバスをやってる間に、革鞄のつくりたいものは、自然に見えて来るかなって思うんですよね」
名:逆算ですね。
山:「見えなかったらちょっとウケますね。笑えますね(笑)」
名:見えませんでした。26個だけど、21個しかございませんって(笑)。
山:「一応、向かうべき場所があるってことが意味あるので、それが実際にこう着地してってよりも、とりあえずそこに向かって行こうっていうのがあるので、楽ちんですね。あとはまぁ、それが実際に出来たら出来たでラッキーだし、出来なくても一応旗として機能してる意味あることじゃないですか?できなかったらできなかったでなんとか、それでもいい方向に行ってると思います。そっから先のことになると全く見えてないですね。どういう風につくっていくかってことが。つくり方として、つくる前にその方法論みたいなものをつくるんですよ。鞄つくるんだったらその方針みたいなものが面白くないと」
名:のれない?
山:「鞄とかも色々考えたんですよね。どうやってつくると面白いものができるかなって、考えるんですけど。アニメとか、ナウシカとか手塚治虫の漫画に出て来る鞄って2Dじゃないですか? 平面。ああいう人たちが書く鞄って丸みとかもすごくいいんですよ。でも細かく書き込んでないから、つくりもわからないし、でも普通の構造とかでつくろうと思ったら無理なんですよ。そういう無理なものを目指して、なんとかそれをつくって、とか、面白そうだなって思うんですよ。2D見て、構造とかってないんですけど、2Dで出来ない物をつくるのに、つくってみるみたいなつくり方とか、面白そうだなとか思うんですけど、やっぱ今は本当に素直につくろうかなぁって思ってます。布鞄は本当に素直につくろうと思いますね。小物とかは構造とか凝ったりしてるんですけど、そういうのはとりあえず置いておいて、鞄は素直につくろうと思ってます」



植:次の質問です。また震災絡みの話に戻るんですけど、戻って来て益子でやっていく訳じゃないですか? 今は工房も家もあるって状況があるから益子でやっているのか? 益子という土地に山本さん前から思入れがあるって言ってたじゃないですか? それがあって、益子を今でも離れたくなくて、原発や放射能の色々な状況があっても離れたくないと決めたのか? その辺はどうなのですかね?
山:「まぁでも両方だと思いますけどね。新しい場所に行くと新しいことが一個できるというか。なんかそんな気がするんですよね。この場所にいて、何か新しいこと一個して、自分は何となくそう思ってその場所に居て、益子とかでもこっちでやりたいなと思ってたことが全然出来てないし、そこはちょっとやっていきたいなと思うんですよね?益子にいて、その展示会までのことはここでやりたいなと思うんですよね。全部詰めてつくって、26個つくるまで。頭の中ではその位のことまではしたいなって思ってますね。完全に場所に執着するっていうのは特にないんですけど。とりあえず、まだ残ってていうのは……。そういう自分の気持ちもありますしね。自分がここでやりたかったことをまだやれてないってのがあるから、出られないっていうのもあるし、結構色んな要因があるなって思いますね」
植:はい。ありがとうございます。で、更にこれは、僕個人が聞きたいことでもあるんですけど、前回の月日さんのアトリエ訪問の時に、月日さんが、「物をつくることは継続することが大切。つくるのだったら、自分がいかに続けられるか、その方法を考えるのが大切だ」って言っていたんですね。山本さんの場合は、物づくりを継続させる、自分なりのやり方、どういうポイントを押さえてますか?
山:「ポイントですね?案外そういうのって一番やり方に出る気がしますけどね」
植:やり方に出る?
山:「気持ちも大切ですが、僕だったら定番のラインナップをつくってやるとか、そんなやり方やり方な気がしますね。自分の嫌なやり方だったら本当に続かないですしね。一個一個のやり方をきちんと自分がいいなっていう、腑に落ちたやり方していくと」
植:自然と続く。
山「はい。続く形になると思いますね」
植:はい。ありがとうございました。僕からは以上です。
山:「上手いこと、今後の連載の話に繋げてください(笑)」
植:まだオフレコなの?
名:そんなことないよ。
山:「ユキさんなんかありますか?」
ユ:ちょっとひとつだけ聞きたいんですけど、ちょっと話し戻るんですけど、さっき山本さんが、まだまだぶれてるっておっしゃってたじゃないですか?その「ブレる」というのは山本さんにとって、どういうことなのかなと思って。いいことなのか? 確か、細野晴臣とかの本にも「いつも僕はブレてる」みたいなことが書いてあって。
山:「『分福茶釜』ですね?」
ユ:そうかもしれないです。そのブレてる間に見付けることって色々あると思うんですけど、そのブレを許しつつ、でもそのブレてるのがやだなって気持ちもあるんですか?
山:「あーそっかー。どうなんでしょうね? 僕はぶれはすごいいいし、許容していきたいんですけど、自分がいざ形にして、形にしたものにそういうのが出ると、それはその時のあれだからっていう風にはならないんですよ。そこで、じゃ直そうとか、もっと先の所から見て、その時のそれが気に入らないんだったら、やっぱ直そうって思うんですよね。ブレ自身はいいんですけど、そこから生まれてくる物のブレは、まだ許容できないんですよね」
ユ:完成されたものは、やっぱりブレちゃいけないってことですよね?
山:「ブレてちゃいけないっていうかなぁ……。今の所のつくり方がネジ締めのつくり方じゃないですか? そういう風な所でつくってると、多分そう思うんだと思います。行く行くその先にどういうつくり方してるのかわからないんですけど、そういうブレもいいんじゃんって思って、そういうのが反影しても、それはそれだよってなるのか? その辺はわからないですね」
ユ:手づくり感みたいなことですか? ネジ締めてるっていうのは?
山:「ネジ締めては、一個一個の形をきちんと出して、サイズとかもそうだし、収まりとか、そういうのをきちんきちんとつくっていくっていう。なかなかブレてる方が楽しいですけどね。不思議ですね。そう言うけど、いざ出来上がったものがぶれてると嫌っていうのは。ま、その辺の矛盾している所はいっぱいありますよ。だって僕、自分の物とかつくる時って、結構アバウトにつくってますからね。自分が使う物ってなると、なんかアバウトになるんですよ。
ユ:自分からの視線で見るか? お客さんからの視線で見るか?
山:「うん。その辺もなんとなくまだ腑には落ちてないんですよね。その辺のバランスのあれが。その辺も行く行く考えててかなきゃならない所でもあるし」
ユ:はい。わかりました。ありがとうございました。
山:「わかりましたとかそういうあれでもないですけど(笑)」
ユ:「(笑)」

山:「最後の質問いいですか? ユキさんに花屋の今後の展望を聞いて、締めてもいいですか?」
ユ:「今後の展望ですか?まだ、それこそ3月7日に花屋をはじめて、まだ半年経たない位なんで、やっと花屋として一通り仕事をして、これから続けていかれるかな、という感じなんで。展望というよりまず、安定していけたらな、というのがまずあるんですけど」
山:「今迄花屋やってなくて、いきなり花屋さんはじめたんですか?」
ユ:もともと別の花屋でバイトやってたり、色々な仕事を掛け持ちしたりしながらやってたんですけど、うちの母親が何年か前に花屋をやってて、葬儀屋もやってて、場所だけ、葬儀の道具とか置いてる関係でずっと借りっぱなしで、箱だけあるような状態で、設備とか残ってたんで。別の花屋でバイトしてもいいかなってのもあったんですけど、でもチャンスがあってお試しじゃないですけど、やってみようかなという流れがあって、ちょっと今やってみてる所なんです。そんなに、覚悟があってやってる訳でもなくて、でもやるからにはちゃんとやらなきゃいけないなって。人に使われてやっているよりは、全然自分で全部やらなきゃならない分、勉強する所はいっぱいあって、すごい面白いなぁって思いながら働いてる所です」
山:「名倉さんとちょっと同業者じゃないですか?青果と花屋さん」
名:あー。
山:「そんなに近くないんですか?」
名:どうなんだろう?
ユ:でも花屋と青果、同時にやってる店ありますよね?(笑)
名:青果が花を仕入れて売ってる。要するに値段の付け方が、花屋と青果じゃ全然違うから、だから、青果やってる人がが花を売ろうと思うと、花屋より絶対安くなるっていう。
山:「へー」
ユ:それはそうですよね。
名:それはそうなんですよねっていうシステムなんです。
山:「花屋さん頑張ってください」
ユ:ありがとうございます。そうやって、自分で何かやってる人のお話を色々聞けてそれがすごい糧になります。心強いです。はい。



名:インタビューに関してはこの位で。これから改めて「∴つづる」の連載記事をお願いしたいと思ってます。前から話してますけど、どんなことしていきましょうかね? 今話してて思ったのは、キーワードに「ぶれる」とかつくることも含めて、あと仕事って何だろうとか?お金って何だろうとか?そういう視点。完全に一個テーマを絞るんじゃなくて、その時その時、あったことをテーマに取り上げて、ポンと書いてみる。それが、一回、二回、三回、四回に分かれてもいいし。また再放送みたいな感じでもいいし。前は、工房をつくるっていうテーマがあって、それを見て貰ったけど、これから長い期間、連載をして貰うんだったら、もっと山本さんの視点というか、頭の中を覗くというか、そういう連載をお願いしたいかなって今思ってますね。それは時に、単純に山本さんがこんなこと考えてます、お金ってこういうことですよね? 仕事ってこういう事ですよね? という時もあるだろうし。逆に聞く。僕今こんなことを思っているんですけど、どうなんですかね?みたいな。という、時にキャチボールがあってもいいのかな? っていう。そういう連載をお願いしたいかなって思いました。
山:「単純にここに住んでるんで、色んな人に話して、インタビューしてもいいかなと。それも面白そうだなと思いましたね」
名:そうですね。
山:「自分一人で書くってより、つくることって大きいテーマじゃないですか? お金とかもその中での話になるし、近くにいっぱいいるから、そういう広がりがあってもいいかなと」
名:そうですね。面白いですね。
山:「ちょっと気合いを入れて、F/style論を書きます。いいですか?」
名:もちろん。むこうがよろしければ。
山:「一応いいですよって言って貰ったので、多分送る前に一回見て貰って、送ります」
名:そうですね。
山:「自分がはじめた時に、丁度、はじめてちょっと位のタイミングで一緒に出来て、すごい学んだ部分が大きいなと思うんですよね。そうなって来ると自分の事書くってよりも、結構ベースになってるなって思うんで、つくること書くんだったらF/style論を書こうって、すごく素直に思えるんですよ。でもちょっと、難しいですよね? 
名:難しいですよね。
山:「書きがいはあると思います。何気に今迄あまり見たことないですもんね、F/style論って」
名:それを僕が書いちゃおうと。
山:「そうです。書きたいなぁーと思って。エフさんは十年やってて、理解されてる様に思うんですけど、一緒にやってみると、まだまだだなぁって僕思うんですよね。僕自身もやるまで気付かなかった事でもあるし、結局紹介される時も「地場産業の」って言われるじゃないですか? あれだって一番表面のことしか言われてないなって。地場って結局方法論でもないけど、やり方の一個じゃないですか? その辺でざっくり語るのって、違和感があるんですよね、語る時ってそこがメインに取り上げられて語られるから」
名:まぁ、一番まとめやすいですよね?  
山:「わかりやすいですから。でも、気持ちであったり、そこにあるものがすごいと思うんですよね。何かその辺のことをすごく書きたいなーと思います。でも、物づくりに対するものすごいヒントがあると思いますよ。ま、そこまで真摯にものをつくってる人はなかなかいないので。尚かつまだ、地場産業の枠だけでしか見られてないのが……。そうじゃないと思う人もいると思うんですけど、そこで括られるのに僕は少し違和感があって。じゃ、何て言えばいいの? って言われるとわからないんですけど」

名:あと、聞きたいことがあるんですけど、手創り市に注文ないですか?
山:「注文ですか?」
名:注文付けてください。山本さんは、静岡の方にも、雑司ヶ谷の方にも出てくれたんで、やっぱ両方知ってると思うんですけど。僕らも毎月やってて、感じることもあるし、静岡も半年に一回の準備の中で、考えて、実際に行動して、少しずつ変化して、自分たちから見える視点はすごくある。まだまだ静岡のベースがどうのこうのまでは足りないけど・・・だけど、出てる人から見て、どういう風に見えているのかっていうのをすごく知りたい。まぁみんなに注文付けて貰いたい訳じゃないですけどね。みんなにああだこうだ言われるとそっぽ向いちゃいますから(笑)
山:「そうですね。でも、そんなに僕は注文という注文は……。言ってもお互い役割分担でもないですけど、一緒に面白い市にしましょうっていう所で、運営とあれをやってくださいねー、じゃ、出すのはしっかりやりますからってあるじゃないですか? お互いにそこの所をきっちりやればいいなと思うので、そんなにすごい求めるってよりも自分はじゃぁこれやりますから、そっちをきちんとやってくださいねっていうスタンスだったと思うんですよね? そうはいいつつも名倉さんとか常に変化しつつ、新しいこともやりつつじゃないですか?」
名:変化しないとね。進化とか、進んだり深くなったりっていうのは、もうどうでもいいっていうか、そんなのわかんねえよっていうのがあるから。でも変化するっていうのは、自分でもわかるし、周りからも見えることだから、変化するのが本当に大事というか、変化しなきゃしょうがねえかなって。もちろん変化しないことがあってこそなんだけど。そのきっかけって、作家さんに教えて貰うことが多いんで、自分を見詰めて、それこそ昨晩の話じゃないけど、正座してポンと生まれる訳じゃなくて、日々やってて、作家さんのちょっとした言葉だったり仕草だったり、ちょっとしたブログから見る変化だったり、そこからすごく教えられるから、それがあるから変化できるというのはありますよね。
山:「僕も名倉さんにこれからもぶれながら、色々新しいことをやってくださいと思いますね。まぁでも、僕も結構勇気付けられるでもないですけど、すごい色んな所に行かれるじゃないですか? お店とかも書いてたり、すごい熱意だなと思うと、僕も益子に離れると、静岡すごい遠いじゃないですか? どうしようかなぁーと思う時もあるんですけど、やっぱブログとか見ててそういう、すごい熱意でやってるな、ああ出よう! って思うんですよね。だから、作家さんも具体的に何を求めるとかなくても、面白い場所に居たいってあるじゃないですか? そういうベースが、なんとなくの所だと思うんですけど、ブログとか見ててそういうの感じ取れるじゃないですか? だから、そういう場である限り僕は出たいなと思います」
名:はい。ありがとうございます……。どうやって締めようかな?
山:「今後のユキさんの音楽の展望を(笑)」
名:ユキくんにもサントラつくって貰うしね。これは僕らもやんなきゃいけないことだし。やりたいなと思ってることだし。その為には、物づくりの現場というか、つくってる人はどんな人か?とか、つくってる人はどんな所に住んでるのか?とか、ていうのを、ユキくんにも現場に行って貰わないと。多分行かなくてもユキくん器用なんでつくれちゃうと思うけど、多分それ故に一番葛藤するっていうか、また面倒臭いこと言い出すから、素直に作ってもらいたいから、手っとり早く連れて行った方がいいなと思って。
山:「そうですね。さらっとつくりそうですね」
ユ:いやーそんなことないです。
山:「そんなことないですか?なんか訪問してあれしてますけど、ユキさんもつくってる側じゃないですか?」
ユ:実際に物をつくる訳じゃないですけど、なんか、共感するところはいっぱいあるんですよ。花屋やりながら音楽つくってていう風に、二つやるってすごい贅沢なことだと思うし、どっちもやりたいことですし、どっちもお金にならないことではあるんですけど、お金にならないことを二つ合わせて生きて行けたらなと思って(笑)そういうテーマが自分の中にあって、やりたくないことできないし。だから、それをやるには、丁寧に仕事してかなかきゃいけないなと思いますよね。
山:「いいじゃないですか。締まりましたよ。丁寧に」
名:丁寧に。
ユ:(笑)
一同:「ありがとうございましたー(笑)」
名:多分記事は、よくわからないものになるかな?と思うんですけど…
山:「そうですね」
名:でも、今の空気が伝わればいいと思った。
山:「適度によくわからないものになるんじゃないですかね?」
名:そんな感じでみんなに見て貰えたらと思いつつ〜終了です。
一同:「お疲れ様でした」


ANDADURA HP http://www.andadura.net/
・・・・・

今回のANDADURA山本さんのアトリエ訪問はのぼりとのアトリエに続いて2度目。
手創り市のウェブマガジン「∴ つ づ る」の連載「お財布のように工房を」のやり取りをしながらも益子に移り住んでからの現在までの山本さんのゆらぎのようなものを垣間見てきて、私自身今回のアトリエ訪問ではアトリエ以外に事に重点を置きインタビューをさせてもらいました。
インタビューの前日に益子入りし、食事をしながら、会話をしながらインタビュー前の助走を行うことができたので3月11日の震災の事にもよく触れることができ、また山本さんご自身もこちらに対してしっかり投げ返してくれた事に感謝。
今日から一週間後にうえおかさんによるアトリエ訪問後記をご紹介いたしますのでそちらも是非ご覧ください。
お付き合いいただき誠にありがとうございました。

※感想は下記mailまでお気軽にどうぞ。※感想は下記mailまでお気軽にどうぞ。

名倉
mail : shizuoka@tezukuriichi.com
twitter : https://twitter.com/#!/a_c_shizuoka




アトリエ訪問【月日工藝】interview

 「第6回アトリエ訪問【月日工藝】interview

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話す人:月日工藝→月
聞く人:名倉→名  ライター:植岡→植  サントラ制作:ユキ→ユ

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名:ではこれから、アトリエ訪問のインタビューを始めます。今回は「月日工藝」さんです。
早速ですけど、「月日工藝」という名前の由来を。
月:「はい。色々意味は含めてるんですけど、一般的に、すぐ人に伝えてるのは、私の下の
名前がですね、清い香と書いて、清香(さやか)という漢字なんですけど、「月」と「日」がその中に入ってるんですよ」
植:「清」に「月」ですよね?
月:「はい」
名:清香で「香(かおる)」に「日」。
「そうそうそうそう。その中に、「月」と「日」が入ってる。そこから「月日」って取ったんですけど」
名・植:おおー!!
植:予想と違った!
名:うん。全然違った。ここ取ったんですね。さんずいとかじゃなくて。
月:「そうそうそうそう。そこから取ったんです(笑)。
でもやってることが、最初は、工房ありきで物づくりをスタートした形だったんで、その、最初にやりたいと思った、オーダーメイドとリフォームと、あと、陶器の直しと、それに関連付けた名前で何かいいのはないかなってずっと思っていて。それで、時間軸による月日という意味合いもこの名前だったらあるし、そのつくった物、直した物をまた、長く使って貰えるような意味合いっていう、その手伝いをしているような意味合いもちょっと込めたかったので、こういう名前に辿り着いたという感じです。あとは、ツグミさんのアトリエ訪問でも同じだなと思ったんですけど、私も金属に限らず、漆の直しとかもあったんで、金工舎とかそういう名前は違うなっていうのがあって。それで、「月日」だけでもよかったんですけど、この工房の雰囲気からして、四文字位の方が合ってるんじゃないかって思って、「工藝」って名付けたんですけど。もともと「工」っていう字が、アンビルとかそういう、金属とか鉄の固まりってありますよね? ああいう物を指す「道具」って意味で、「藝」は「技」って意味だから、何か道具を使って、技を持って何かを創るっていうのが、丁度いい名前かなって思って、こういう名前になりました」
名:自分の道具、自分の使ってる道具でつくったり直したり、器を継いだり、というのと、真鍮の作品とか、それだけじゃないって意味で「工藝」っていう広い意味で。
月:
そうです。広い意味ですね。道具を使って何かをつくる、何かを直すんであったり。あと、ゆくゆくどういう風に広がっていくのかってわからないから、あんまり名前に捉われてやれることを制限するのはやだなっていうのがあって。自分がこうやって生きて行く中で、どういう風に人生が転んでゆくかわからないから、末永く使える名前だったらいいなぁっていうので(笑)。広い意味を持って名前を付けられると、自分も気が楽かなと思ったんですよね。なんかに押し込める名前だと、そこから発展出来なくなっちゃうから。ま、そんな感じで、一見何をしているんだかわからないような名前になってしまったんですけど(笑)」
名:でも、ホント、そのトータルで自分のつくりたいものをつくるというか、やりたいことをやるというか。このアトリエに来ると、色んな興味ある物が置いてあって、自分の作品だけじゃなくて色んな人の作品であったり、時間をまとったものであったり、そういうのがあったら、ホントにそれはその通りだなって思いますよね?
月:「そうですね。多分こうやってアトリエに来て頂くと、お客様の方もすんなりとわかるみたいで。そのお客様自身、オーダーを頼みに来たり、リフォームを頼みに来たり、器を直しに来たり、色んな人が来るんですけど、そういう方が来た時に、「あ、なんか、ここで頼んだら面白そう」とか、そういうのがちょっとでもわかって貰えるような場をつくりたいなと思って、ここをやってるみたいな感じですね」

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名:では次の質問。ここアトリエ、工房ですよね。ここはいつから始まりましたか?経緯とか含めて。
月:「工房をここ自体借りたのは、二年前ですね。こないだ丁度更新したので。それまでは、勤めてたりとか。三年前に小田原に帰って来たので、それから一年位ずっと探してたんですけど、探してる間は、物つくる場所とかあんまりなかったので、祖母の家のひと屋を間借りしたりとか、知り合いの作家さんで大きいお家持ってる人の部屋を間借りしたりしてたことがあったんですけど、間借りって私の中であんまり……集中出来なくて……。誰かの中に属するっていうその感覚が、作品を創る上や仕事をこなす上で宙ぶらりんな感じがして、間借りで何かをつくるのは無理だなって私は思ったんですね。だから、こういう独立して、自分で全部好きなようにコーディネートして、物をつくれる環境っていうのは、一年位かけて探して。やっとここは不動産の情報見て見付けたんですけど。ここを見た時に、一軒家だったんで、ゆくゆくは住む事も可能だし、元々はもっと酷い状態だったんですけど、手直しも自分でしていいって事だったんで、好きなように直して、自分のつくりやすいスペースを手に入れたっていう感じですね」
名:今言った様に、間借りをするっていうのは、自分自身の制作とか、お客さんに対するつき合い方の中で、月日さんには合わない、そうじゃない…
月:「なんか、ケジメを見せないとダメだって自分自身も思っていて。仕事を貰うって事はお金を頂くって事だから、自分も何かに対してリスクを負ってるっていう……。ここを借りるんだったらここを借りるためのお金が必要で。大したリスクではないんだけど、でも、そういう場所がある、ないっていうのは、お客様に対しては受け取り方が全然違うと思うので、こういう独立して何かをやっているっていう、そういう意志っていうか、ケジメみたいなものを見せたかったから、そういう場所はどうしても欲しかったっていうような感じです」
植:その自立した所からっていう感じと、ケジメという言葉が響きますよね。
月:「特に自分自身が、住まいは実家なので、実家で一部屋どうにかして仕事をするとなる と、オリジナルのものをつくるとかそういうことであれば出来るかもしれないんですけど、私の性格上それは無理だし。その、仕事をしてる訳なのに親と一緒に住んでるって、いつまで経っても親と子、であって、たぶん周りのお客さんから見ても、ああ、趣味でやってるのかな? って捉え方はあると思うんですよ。私がお客さんだったら、趣味の延長なんだって捉え方をしちゃうと思うんです。でもそれが、独立してやってるってことで、ああこの人は職業としてそれに対して取り組んでるんだな、というのがはっきり目で見てわかるような形を取るのが大事だったかなぁと思うんです」
名:アトリエを持つって事と、アトリエを持ってから、色々内装とか手直し入れながら、それでも制作も一緒にやってたと思うんですよね?で、実際にアトリエをつくる前と、つくってる最中、つくってから、その間にも月日工藝って名前は…あった?
月:「ないです」
名:で、自分の中の意識っていうのは、どういう様な? もちろん今言ったような考えがあって、アトリエつくったっていうのもあると思うんですけど、その中でも多分、つくってく内に変化ってあると思うんですよね?
月:「そうですね。どんな物でも、手を入れていくと愛着が沸くし、やっぱり私が物をつくるだとか、物に携わるっていう原点が、その物に対して長く使うっていう。捨てられそうな物を長く使うとか、とても大事なんだけど、捨てたくないんだけど、割れたり、デザインが合わなくなったりしたら捨てるっていう頭がありますよね?なんだろう? 上手く言えないな。普通だったら、例えば、おばあちゃんから貰った物は、すごく大事で想いが籠ってるんだけど、上手く使えない物とかあったりするじゃないですか?
そういう物を、何かひとつ手を入れる事で、結構気に入って毎日使えるような物に、変化をしようと思えばできる。ただ、その術を知らない人がいっぱい居るから、こういう方法もあるんだよ、って言うのも提示出来るような仕事をやりたいなと思っていて。だから私は、今やっているのはオリジナルだけじゃなくて、直しもする。そういうのも……。何の話してたんでしたっけ?(笑)わかんなくなっちゃった……」
植:アトリエを持つ事によって意識が変わる。
月:「あ! 意識が変わる! そうですね。直すってことと、この家は、誰も見向きもしなかったような家だったんですけど、むしろ直して行く事によってその気持ちが強くなった」
植:あぁ!
月:「あぁ、やっぱり、手をかければ、こうやってお客さんが来て喜んで貰えるように、そんな場所に生まれ変わるって言うのは、そういうものを大切にするとか、長く使うとか、すごく伝えやすいものではあるなぁーって思ったんですね。直してる最中に。それで、漠然としたものがハッキリしたというか」
名:もともと、月日工藝として、直すこととつくること、両立して、それを目指し始めたけど、アトリエをつくって、直すことによって、より明確になったというか。
月:「そうですね。あ、やっぱりこうやってひと手間かけることで、物って生まれ変わるんだってことに、この大きい箱を通してわかったし、それに共感を得てくれる人っていうのを、ここに来て貰えば得やすいじゃないですか? ここに来て貰って、ここに共感できなければそれはそれでっていう話なので」
名:あれですね? 来てすぐわかるのは、「(アトリエ)見ればわかるでしょ?」ってゆうこと。
月:「そうですね。なんか本当に気に入って貰える人は、だいたい同じような感性のある人で通ずるものがある人。お客さんもそういう人が多いので、どこどこのブランドの何々が欲しいっていうのが断定的になってる人は、ここに来て何も思わないのかもしれないけれど、それはそれで別にいいなっていう」
名:はい。
月:「答えになってますか?」
名:なんとなく答えになってれば(笑)
月:「なんとなくでいいですか?(笑)一生懸命しゃべろうとするんですけど、質問なんだっけ?って(笑)」
名:しゃべってると、自分がどんどんどんどん先行っちゃって、迷う事ってありますよね。
月:「あ、そうだ! そこに繋げたかったんだ。みたいな(笑)」
名:自分でこう、人に道聞かれて……。
月:「そう!」
名:連れて行きますよって言ったのはいいものの、どんどんどんどん違う所連れて行っちゃって、いつの間にか目的が変わってるみたいな(笑)
月:「そうそう! ここも美味しいですよ、みたいな(笑)」
名:それで、いいんじゃないですか?
月:「はい(笑)」

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植:あの、ひとつ気になったんですけど、直すこと、ひとつ手を加えてということに、月日さんが自身が気付いたのは、いつ頃だったりとか、どういう瞬間だったりとかありますか?
月:「うーん、なんだろう?」
植:気付いた頃というか、気付いた背景でもいいですし。小ちゃい頃からそういうものが当たり前のようにあったのかもしれないし。
月:「うーん。小さい頃から当たり前じゃなかったですね。なんだろうなぁ。前やってた仕事を通してそういう気持ちが強くなったのかもしれないし。そうですね、丁度、金属の学校を出た辺りで就活をするとかしないとかそんな時に、普通に金属関係、ジュエリー関係の仕事に就こうと思ったんですけど、私は受けようと思った会社が一社しかなくて、そこ落ちたらどうしよっかなーみたいな感じで(笑)。で、最終面談までいって、そうしたら最後の最後で、こんなにもここに入りたいって結構頑張ったけど、なんかちょっと違うかもって、社長と話してたら思って。案の定向こうもそう思ったんだろうけど、その時に、そこに就職はしない、できないって形になったんですね。で、そこ落ちて、その後私はどうしよっかな? そこに入る事しか考えてなかったと思って、色々考えてた時に、私が通ってた学校は東京だったんですけど、暮らしてた所が渋谷区で、毎日のように目まぐるしく流行が入れ替わって、とても発展していた地域だったんですね。よくバイトとか夜中迄して、帰り道を歩くと、そこら辺のデパートのディスプレイが、毎夜毎夜のようにコロコロコロコロと変わって、きらびやかだなとは思うんだけど、なんかこれでいいのかな? っていうのを学生生活の時に思っていて。生活そのものっていうのか、ずうっと働く事だったり、食べたり飲んだり、暮らしていくそのものの事だったりとか、そう いったものと、生活と仕事をあまりにも切り離していくのってどうなんだろう? っていうのが学生のうちに思った事で、でもこのままジュエリー業界に就職した所で、結局その答えも見つからないまま私は何年も過ごしていくんだろうなぁーって思った時に、漠然とすごい怖くなって。例えばつくる事だったら、それをどうやって生活と同じレベルで考えていけるんだろうって思った時に、そういうことをしている会社を見付け、そこに面接にいったら受かったので、そこから少しずつ、暮らす事だったりとか、つくる事っていうのを分け隔てていないような状況を見せて貰ったし、その仕事を通して、そういう風に生きている人達にとても多く関わったし、それを分けなくても暮らしてはいけるんだっていう実体例をたくさん見た時に、こういうのって絵空事じゃないんだ、雑誌の中や本の中のことだけじゃなくって、そういう風に暮らしていっている人たちが結構いるんだなっていうのを生で見たし、生で話を聞けたから、行く行くここまで辿り着いて来れたっていうのはあるんですね。その時に、仕事を通してそういう人達と話していって、尚更、物を長く使うとか、作家がわかっている訳じゃないですか? 仕事をしていると、こういう人がこういう物をつくってますってわかった時に、大事に使いたいなっていう気持ちが芽生えたりする訳じゃないですか? なんかそういうのを、どういう方法であればサポート出来るんだろうって思ったら、自分が出来ることは金属だったんで、金属関連の仕事と、あと丁度、その仕事をしている間に金継ぎというものを教えて貰う機会があって、それを教わりにいってたんですけど。それで、その教わってた先生というか、同世代位の方だったんですけど、その方が、病気で亡くなってしまって。同世代の方が亡くなるってショックだったんですね。その人が白血病だったんですけど、最後、亡くなる直前とかに教えて貰ったので、その人の意志を継ぐって言ったら大袈裟なんですけど。道具を、お母さんは辛いから全部捨てたいという感じのを譲り受けて、別にそれをすぐ仕事にしようとは思わなかったんですけど、長いスパンで続けていきたいなっていうのがあって、金継ぎは続けようって思うのと、金属でも、オリジナルをつくるってことだけじゃなく、直すってことも踏まえてやっていけたらなって、徐々に形が固まっていったんです。だから、最初からそういうのに興味があった訳じゃないです。ホント巡り巡ってって感じですね」
名:ホント、巡り合わせですね。もともと月日さん自身が、直すことだったりつくることだったりにする背景、考え方があったにしても、結果的にそれを実際にやってく上で、色んな人との出会いとか巡り合わせとかがあって。
月:「そうですね。金属やってるから手先が器用なんだろうみたいな感じで、社長が金継ぎやってる方と私を繋げてくれて。もともとそこで働いていたスタッフの方だったんですけど、病気で亡くなってしまった人は。多分社長とかその周りの人も、その子が活き活きと何か出来ることをさせてあげたいって事で、人に何か教えれば活き活きするんじゃないかって事で、私も派遣されたんですけど、そういう繋がりで金継ぎに出会ったっていうのはありますね」
植:ありがとうございました。
月:「はい(笑)」



名:じゃ次行きますね。普段、このアトリエでどんなこと考えながら作業してますか? 作業って色々あると思うんですよ、つくることだったり、直すこととか、梱包、事務の仕事とか。その中でも、多分、自分のつくった空間の中で、自分一人でやってると思うので、色々想像しながらとか、考えながらやってると思うんですけどどうでしょう?
月:「そうですね。何だろう? 何考えてるかなぁ……。やっぱりつくるものによって、考えることが全然違うんですけど、修理だったら、こうして、こうして、っていう。金継ぎも無に近い感じで、事務的にって言ったらあれですけど」
名:一心不乱?
月:「そうですね。金継ぎしている時は、風も吹かない無風状態でやるし、音も流すと集中できないんで、無風無音の中で取り組むって感じなので、あまり何も考えてないんですけど、ただ段取りだけは頭に入ってるっていうか」
名:なんか時計の技師みたいですよね
月:「そうですね。そう、そうかも。でもそんな大それた事言ったらなんですど、ホコリとか入ると、漆だからあれなので、そんな感じで。あとは、オリジナルをつくるときは、もう既に形が決まっているものであれば。ホントに数をこなしていくというか、時間を決めて、こっからこれはここまでに仕上げたいとか決めてやってる位で、その間はラジオ聴いたりとか、リラックスした感じでつくってく様な。ただそのデザインが決まる迄は、結構ぼーっととしたり」
名:デザインって、考えて考えてひねり出すって感じですか?
月:「あんまりそういうタイプでもないのかな? お客さんと手創り市で話したり、お店の人と話したりして、こういうのあったらいいよね? ってところから発展させていく事が多いです。こういうのが欲しいとか、こういうのがあったら、って言って、それで三角だったら三角の大きさだったり、厚みだったりで印象が変わるので、色々試してみて、なんか自分が一番しっくりくるような大きさで終わらせるとか、それは実験みたいな感じなんですけど。別に、すごく考えたからいいものが出るってものでもないので、今あるアイテムの中でもどうやってこれ、生まれたんだっけっていう位、覚えてないものが多くって」
名:思い付きとかってないんですか?
月:「ありますあります」
名:ふと、全く考えてないのに、いきなりやって来た、こいつは!みたいな。
月:「ありますねー。そういうのはだいたい材料をいじくりながら、こんなのつくったらいいかなぁーとか、思い付きもありますね。でも、オーダーメイドだとそれは全然違うので」
名:それはそうですよね? 思い付きでやれないですよね?
月:「そうそう。お客さんに「こんなのいいだろ?」みたいなことは絶対言えないので(笑)こうやって対面でお客さんの性格とか、今どんなものを身に付けているとか、普段どういう仕事してるとか、そういうのを聞いて、どういうのがいいっていうのをこっちから提案をしていくような形にはなるんですけど、そこに私の我は殆どなく、その人達にあったものを自分の中に落とし込んでいく形なので」
名:会話をすることによって、引き出していく。
月:「はい。その人にあったものを提供する、なりきる感じですね。すごく客観的に見る」
名:なりきるってすごいですね?なりきれます?
月:「この人の指にこういうのはまってたら素敵、とか思いながら話してるので、成り切るって違うか?」
名:面白いですね〜なりきるって発想は。
月:「頭は全然自分はない。その人の事しか考えてない」
植:空(から)の入れ物みたいになっていて、その人が中に入って来る?
月:「(笑)それ何だっけ?恐山?」
植:シャーマニズムですね(笑)
月:「そこまで神々しい感じではないですけど(笑)」
植:ニュアンスとしては?
月:「そうですね。その人が求めてるものを聞き出すって感じですね。だいたい、なんかよくわかんなくてって人が多いので、具体的にこれつくってとかいうよりも、なんかわかんないんだけど、結婚指輪なら、結婚指輪をつくらなきゃいけない、でも私たち普段指輪しないからどういうものがいいのかわからない、とか、そういう方が結構多いので。話すだけ話す、くだらない話とかもしてみて、その中から、この二人にはこういうのがいいんじゃないかな?ていうのを提案してあげる感じで、全然オリジナルつくる時と頭は違います」
名:どうでもいいんですけど、結婚指輪をつくる人で、この場でもめたりしないですか?
月:「(笑)えー! みなさんラブラブな感じで」
ユ:そんなじゃダメだよとか。
名:一見自分はイメージがないっていいつつも、でもそんなことないんじゃないかって僕だったら思うっていうか。
一同:あぁー!
名:実はあるけど、別に、言う迄もない。でも話してる内に、自分がもともとこうだって思ってた事が出て来ちゃって、夫婦というか、夫婦に成る前の二人の意見がぶつかり合うみたいな。
月:「でもなんか……。」
名:チクチク。
月:「チクチク?結構、お二人にもよるけど、どっちかが優勢みたいのがあって、(女)「こんなの付けたいなー」(男)「やだよ!」みたいなことは、時にあったりもするけれど」
ユ:男の人あんまり気にしなさそうですよね?
月:「こだわりの強い人と、そうでもない人の両極端」
ユ:なんか、女の子が決めちゃいそうじゃないですか?
月:「結婚指輪ってペアみたいな感じじゃないですか? 二人でゴテゴテのはなぁーみたいな。だから、女の子に好きなようにしていいよって言ってくれる人がいいんでしょうけど(笑)」

★ここで、月日さんのアトリエの庭を人が通っていく。

名:通りますね〜(笑)
月:「あの方がよく通行料とかいって、よくお菓子とか、飲み物とかくれるんです。ブログに出て来るお裾分けの方です(笑)」
名:普通に通るんだね。
月:「これからカラオケ行って来るとか(笑)」
名:(笑)では、次。子供の時、どんな子供でした?それはつくることとかも含めて、関係なくどちらでも。
月:「子供の時……。子供の時からつくることは好きでしたね」
名:学校の授業でも?
月:「学校の授業は図工が一番好きでしたし。うーん、なんだろう? 子供の時……。幼稚園の時は、裁縫に目覚めて、チクチク縫って、今考えると迷惑な話かもしれないですけど、手縫いのバックとかを幼稚園の先生にプレゼントしたりとか。小学校、中学校は絵描いたりしてたので、描いたりつくったりすることが生活の一部ではあったけれど、そういう仕事に就くとは全然想像してなかったかなぁ」
名:いつぐらいから意識し始めたとかありますか?ターニングポンイトまではいかないけど、なんかぼんやりと。
月:今後美術やる!とか?高校の時ですかね?進級、進学を考える時に。その時美術を担当してくれていた先生がすごく変わった先生で、私が通ってた学校が普通の進学校だったんで、美術とか音楽とか書道とかはおまけだ、みたいな扱いで」
名:趣味?
月:「そう趣味みたいな感じで、その専任の先生もいなかったんですよね。非常勤の先生を適当に入れるみたいな感じで、普段は美術だったら、美術の予備校とかあるじゃないですか? そこで先生やってる人が、ひょろっと来て、高校の授業教えて帰るみたいな感じで、なんかその先生がすごくひょうひょうとした先生で、普通学校の授業って課題がきちきちしてて、こういうものを創らなきゃいけない! とか、こういう絵の技法!とか結構面白くないのが多かったんですけど。その先生は、美術を専攻する生徒もそんなに居ないからか、好きなようにやらしてくれて、好きなようにつくればいいよって感じだったんですね。で、ある時、その先生が肩から掛けてたバッグがかっこ良かったんで、「先生それどうしたの?」って言ったら、「これつくったんだよ」っていうのを聞いて、バックつくれるんだすごい!って思って、授業中に革買って来て、バックのつくり方教えて貰ったりとか。あと、デスマスクっていうか、ベートーベンみたな、顔に石膏流し込むやつやろう!みたいな感じで。ホント今考えたら死ぬんじゃないかっていう、口にストローを二本立てて、鼻に綿みたいなのを詰めて、そこに寝ろ!とか言われて、石膏流されるんですけど。10分くらい笑っちゃいけない、空気このストローのみ、そこを塞がれたら死んじゃうみたいな感じで、そういうのをやらしてくれたりとか。その間は面白い事まわりで言いあってるんですけど、でも笑っちゃうと型がとれなくなっちゃうから。そういう変わった事をさしてくれる先生で、そういうのを色々つくっていくうちに、このまま進学っていうより、つくることってすごい楽しいぞ! って思って。勉強だと、夜耐えられなくて、寝ちゃうけど、物つくっているときって、別に寝なくても全然いける、っていう。そういう所から、こういう事をずっとできるのっていいなっていうのを漠然と思って。今迄、高校生に上がる迄、絵を描いたりとかそういうものは好きだったから、性格だったりうんぬん、性格を認めて貰うとか、コミュニケーションツールのひとつであるなぁっていうのは感じたんですよ。だから、自分が物つくらなくなったら、自分自身が欠陥しているみたいな、そういう意識があったから、そこを強くできるような、見詰め直すような勉強が出来たらなと思って、それで美術系の学校に行ったんですけど」
名:今言ったコミュニケーションって、月日さんにとっての面白いコミュニケーションをするためには、やっぱり自分がつくるっていうこと。
月:「そうですね」
名:で、つくることを介すると、自分が楽しいな、面白いなっていうコミュニケーションが取れる、ということですよね。
月:「私が大学に行ったのは、アメリカの大学だったんですけど、その時に、普通より英語出来ない訳ですよ。アメリカ人の集団があって、その中に変な日本人がポンと来て、まわりとコミュミケーション取ってく上で、勉強なりなんなり方法があるけれども、一番無条件にわかり合える方法がやっぱり物をつくることだったんで、それが一番すごくコミュニケーションが取りやすくて。向こうも、この人面白いな、この人こういう事考えて生きてるんだ、みないな、言葉でなくとも心でわかり合えるっていうのは肌で感じて。どの国いっても、物つくってコミュニケーション取れるんだっていう事を、すごく色濃く感じましたね」
名:感じ方が違っても、その感じ方の違いが面白い、とか。
月:「そうですね」
名:感じ方が同じだったら、それはそれで共通項として面白いし。
月:「バックグラウンドが違うような人間が集まった時に、人それぞれ捉え方も違うし、そこで面白い反応がまた起きるし、コミュニケーションのひとつってことはその時期位から感じてますね」
植:コミュニケーションで思ったんですけど、月日さんのウェブサイトあるじゃないですか?あれ、文字の大きさ変えられますよね? 
月:「ああ! 変えられます(笑)」
植:あれが月日さんらしいというか、コミュニケーションの第一歩が始まってる。
月:「老眼でも大丈夫みたいな(笑)」
植:で、つくること。出来上がること。作品で、人柄ではないけれどもそういった所が表せるということと、ウェブサイトも月日さんのつくったものだから、という風に、僕は感じているんですね。
月:「ああー。そんな大それた物じゃないんですけど(笑)。もともとデフォルトで入ってたものでそんなに大それたものじゃないんですけど(笑)。でも、老眼の人もいるだろうし、逆に私は字を小さく見たいときもあるから、勝手に使って貰えばいいかなってあのツールは残したんですけど。でもブログを書いててもそうですけど、あんまり難しい言葉というよりは、自分らしく文章を残すにはわかりやすい言葉で、まぁ、つたないですけど(笑)綴っていければいいなっていうのはあるので、子供でもなんでもわかりやすく。」
植:すごく自然に入って来ますよね。言葉が。
月:「そうですかね?」
植:シンプル。
月:「あまり、まぁ、難しい言葉を知らないってのもあるし、そうすると私自身もよくわからなくなって来ちゃいそうだから。誰でも受け止めやすい言葉では書きたいなとは、常に思ってますね」
名:それは月日さんの作品にも表れているというか? 形に出てるんじゃないかな?って。旗のピンとか、髪留めのゴムとか、形がすごくシンプルじゃないですか? そういう意識ってゆうのは、はっきりと落とされるんじゃないかなって思うんですね、物の形にも。すごく感じますよね?
月:「だといいです(笑)」
植:あと思ったんですけど、ブログにも記述がありますし、僕が個人的に作品を見ていて思った事ですけど、自然の記述、自然を形にしたものが多いなと僕は感じていて。
月:「自然からヒントを得たみたいな?」
植:で、今日、月日さんの自然観というか、自然と作品との関係性みたいなところを語って貰いたいなと思って。
月:「ええっー(笑)そんな言う程、自然の中に暮らしてないんだけど(笑)どうなんだろう?」
植:生活の中に、自然と自然がありますよね? 普通に。
名:その自然っていうのは、無理がないって意味?
植:そうそうそうそう。
月:「ああ。そうですね……自然観!」
植:そんな大それたものでなくてもいいですよ。
月:「えー、難しいなぁ」
名:難しいね。
植:前にメールでも感想を書かせて頂いたんですけど、コースターは満月に映るススキの野原に思えたりするんですよ。
月:「うんうんうん」
植:あれってやっぱり、月日さんの中に自然があるから出て来るものだと思うんですよね。
月:「でも確かに、自然の形だったりとか、そういうものから、インスピレーションと言ったら大袈裟なんですけど、そういうものからこういう形をつくっててみたいなとか。例えば、物を産み出す時に、過去に見た景色だったりとか、そういったものから、実際に形に落とし込んで、つくったりとかいうのは多いですね。うーん。写真は撮らなくとも、自分の頭の中で強烈な景色とか、すごく感動したものとかって、何年経っても残ってるじゃないですか?子供の時冒険した原っぱとか、そこで変な実を食べたりとか。そういうものが紐解いて紐解いて、材料触ってて、今ふっと思い出したりとか、それをアクセサリーにするんだったら、どこに身に付けたら面白いかなとか、そういうのがフッと出て来たりすることはありますね。答えになってますか?」
植:なってます。その、原風景的なものもあるし、その強烈に記憶に残る、記憶の中核に残るものっていうのはわかりますし、それを形に落とし込もうっていう、そこにも無理がない感じがしていいですよね?
月:「あんまりそこら辺に無理はしてないですね。自然にって言ったらあれだけど。そういうもの、今はないような風景ばっかりじゃないですか? 過去に感動したとか、子供の時遊んだとか、そういうものに対しての敬意を示すって言ったらあれなんですけど(笑)そういう気持ちはいつまでも忘れないでいたいって気持ちはあったりするのかなぁ。ちょっと話が大袈裟かもしれない(笑)でもそういう感じです」
植:ありがとうございました。
名:その今言った記憶って所で、話また被るんですけど。過去に残った記憶って、今言ったように、大抵今はないものが残ってますよね?
月:「そうですね。すごく「ない」ってことに気付いた時にがっかりするじゃないですか?喪失感も混ざっては来ると思うんですけど。ないってわかっても、なくなっちゃったって思うから、それがすごく鮮明に再インプットされるというか。子供の時に遊んだ所とかも、もう殆ど、工場とかになっちゃって、なくなっちゃったんで、そのがっかり感とか、そういうのはすごく感じますね」
植:変な話ですけど、心には時間の概念はないから、永遠じゃないですか?
そういうものも永遠に残せますよね?
月:「そうですね。うーん。うふふふ(笑)かっこいい〜」
名:これ文字になるとね(笑)
植:酷いよね?(笑)
名:文字にすると、植岡さん苦情来るよ(笑)
月:(笑)
植:やっちゃった(笑)じゃ、次行きましょう。あ、名倉君、話し続けなくていいの?
名:今のでいいよ。今以上のこと言えないから(笑)

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名:では次の質問です。今、月日さんはつくり手としてアトリエを持って、何年ですか?
月:「アトリエを持ってですか? 二年ですね。はい」
名:で、これからつくること、そもそもつくることを始める人や、今つくってるけど、住まいとは別にアトリエを持とうかな?とか、ちょっと違う環境でアトリエを持とうかなっていう人に対してのメッセージとか。私はこうだけど、こうした方がいいよ、とか。
月:「こうした方がいいよ?」
名:こうしない方がいいよ、とか(笑)
月:「なんだろう? まぁねえ、つくることは別にそんなハードル高いものでもないから、どんどんやってしまえばいいと思うんですけど。アトリエを構えるかぁ……。アトリエも出来る範囲でやればいいと思うんですよね? そんなにすぐに背伸びしなくても、出来る範囲で少しずつ。私が始めた時も、どっかに間借りするとか、それがすんなり合えば、それを続ければいいことだし。私みたいにやっぱり一人でどうしてもって思ったら、その時感じたストレスとか、欲求とかで、次に繋がっていくと思うので、自分が出来る範囲でとりあえずやってみたらいいと思います。後は、忠告?これは気をつけた方がいいよ?とか?・・・すぐに結果を求めない方がいいと思います」
名:作家活動していくうえで?
月:「うえで。お店屋さんとかもそうですけど、一年もしないのに店閉めたりするとか結構あるじゃないですか? 面白くなるのは一年過ぎてからじゃないのかな? とか。徐々に徐々に、一年よりも二年、二年よりも三年っていう、感じで面白さが増していくと思うんですよ、何事も。だからなるべくそうやって末永く出来るように、すぐに結果を求めず、自分なりの方法で続けられることを考えていったらいいと思う。ただ、すぐ反応がなかったとか、売れなかったとかで、すぐ止めてしまうんではなくて、ホントに細々とでもいいから、自分のできる範囲で続けていくことの方が大事かなと思う。どんなものつくる人でも、同じ感性にひっかかる人って必ずいると思うんですよね? すぐ反応はなくとも。その人に巡り会うために頑張ってください、という感じです。一回そこで繋がると、たぶん、どんどんやる気も出て来ると思うんですよ」
名:最低三年はやらないとね。一年目っていうのは、お客さんと色々知り合う機会がある時だと思うけど、そっから二年目、三年目っていうのは、一旦お客さんと知り合って、時間経って、色んな同業者とかお店とか知り合って、ひとまずこう、整理が付く時間、そこには三年はかかると思うから、だから三年生が一年生。
月:「そう思いますね。一年目じゃ何も語れないというか、面白い事は、もっと先にあると思いますね。だから、つくりました! 発表しました! で、反応なくてやめちゃうのはすごく勿体ないなって思います」
名:まぁそれは、言ったら悪いけど、本当にやらない方がいいですよね。勿体ないというか。
月:「うーん、そうですね。続けていく為にはどうしたら、頭も使って来ると思うので」
名:うーん、そうですよね。
月:「そこで考えることが必要かなと。」

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名:そういえば、先月で手創り市に出始めて、一年。
月:「そうです。一年でございます(笑)」
名:ありがとうございます(笑)。
月:「こちらこそありがとうございます(笑)」
名:この一年で面白い事とか?
月:「ありまくりですよー!(笑)月日工藝が変わりましたね。なかったらどうなってたんでしょうねってくらい。広がった輪というもの大きいし、手創り市がなかったらオリジナルでものつくってないと思うんですよ、私。手創り市に参加しようって決めてから、オリジナルの物をつくり始めたんですよね。とっかかりがあれなんですけど。最初、オーダーとリフォームと金属、器の直しをやってて、一年それで経って。一年経って落ち着くじゃないですか、一段階。ここも落ち着いて、お客さんとのやり取りとかも落ち着いて。さぁこれをどうやって広めていこう? って何となく思っていて、近所のお客さんターゲットだったら、近所のお店にチラシを置かして貰う、その方法以外で他の地域の人と繋がる方法はないかなぁって、宣伝の効果も兼ねて色々方法を探しあぐねていたのですけれども、私自身が雑誌とか読まないし、何が流行ってるのか全然わからないので、手創り市のことも去年の今頃まで知らなくて、申し訳ないんですけど(笑)。それで、たまたま手創り市を知ったきっかけに辿り着くんですけど……。話長くなるかなぁ……」
名:いいですよ!
月:「これからどういう風にして色んな人と関わっていけばいいんだろう? とか。「月日工藝」っていうのがあるんだよって知らせていこうって思った時に、その時、オリジナルの物をつくるとかいう頭がなくて、ちょっと知り合いのお店から頼まれたりすると、ジュエリーをつくって卸すとかはあったんですけど。それ以外で自分が雑貨とか、そういう物をつくりたいなぁっていうのはあったんですけど、まだそこまでお尻に火を付けるきっかけがなかったというか。工房を一段落させるまで大変だったというか」
名:これだけ広さあればね。やる事いっぱいありますよね?
月:「そう。やることがいっぱいあり過ぎて。で、一段落した時に、オリジナルの事だったり、広告の事だったり、どうしたらいいかな? と思った時に、普段ものつくってると時々息抜きしたくなるんですよね。図書館に行きたいとか、カフェ行ってぼーっとしたいとか、時々ばーって運転して何処かに行きたくなるんですけど。その時に、いわもとさんのお店が二宮にあった時に一度行っていて、その直後くらいに工房が見つかって、直しに入っちゃってたんでずっーと行ってなくて、なんかドライブがてらあっちの方行こうかなと思って、定休日を調べようと思ってネットで探したら、ホームページがなくなってて、それで色々探してみたら、閉店していたということを知って、閉店したとなると逆に会いたくなる、見たくなるというか、なんか見付けたい!」
名:あいつはどこいった?
月:「あれリノベーションっていうか、セルフビルドで家建ててますよね?セルフビルドで家建てたのにもう閉めちゃって大丈夫かな? って心配になっちゃって。一回しか行ってないのに(笑)ちょっと心配になったりして、それで探してたら手創り市のホームページに当たったんですよね。ヒットして。何故かそこにいわもとさんの連絡先が乗ってたんですよね?手創り市関連なのか、rojicafe関連のなのか?わからないですけど、連絡先、電話番号が出てたから、電話してみたんですよ」
名:へー。電話番号まで!
月:「そうそう」
名:そりゃまずいね・・・
月:「ワークショップの申し込み……」
植:事務局の電話番号?
月:「ううん。いわもとさんの電話番号」
名:携帯電話?
月:「はい。携帯電話です。なんかヒットして今どうしてるんだろうと思って、ちょっと知りたくなったのがあったので、それでいわもとさんに電話したんですね」
名:電話したんだ!俺だったら絶対電話できないな(笑)
月:「電話してみて、それが丁度手創り市のやる三日前位だったんですね。で、今は家の事情があって茨城にいるんだけど、毎月手創り市というのがあってそれに出てますよ、みたいな感じで言われたので、そういうのがあるんだぁ! って。で、茨城と東京って遠いじゃないですか? そんな離れてでも行きたい場所ってどんな場所だろう?ってすごく気になって(笑)そんな苦労してまでも行きたいものって何?って思って、それで好奇心だけで行ったのが去年の五月だったんですね。で、見てみたら、あ!こういう場があるんだって。お客さんも賑わってるし。リーマンショック以降、どんな知り合いのお店と話したりしても、どこも経営が厳しい、お客さんが来ないっていうムードだったんだけど、なんかそこは、最近見た事がない位の活気の東京があって、ああこんなに人が来るんだ、お客さんは来る所には来るんだなってなんか思って、そこでいわもとさんとお話しをしたんですよ。そうしたら、私は一回しか行った事がないので、そんなに良く話す仲とかそんなんじゃなかったんですけど、そこに居る人たちが楽しそうだったし、いわもとさんが、「見るより出る方が絶対楽しいよ」ってポロッと言ったんですね」
名:おお!いいこというね!
月:「それで、へーそうなんだ!って、私単純なんで、帰ってからすぐに申し込み書送って。で、出る事が決まって、それから、何しよう? ジュエリーなんかあんなとこ持って行ってもしょうがないな、風で飛ばされそうだなと思いながら、その空間にあった物、お客さんも気軽に手に取れるようなもの、後は、自分が、ジュエリーやったり器やったりすると、どうしてもターゲットが女性に偏ったりするとか、年齢層も限られて来るけど、そういうのに捕われずに、男の人でも手軽に手に取れるとか、結構若い子だったりとか、逆におじさんだったりとか、手に取って貰える物をつくりたいなって欲求がばーって出て来て。それで、オリジナルの手軽な雑貨とか、そういったものをつくろうっていって、つくってって感じです」
植:じゃ、あのコースターとかも……。
月:「その時です。その前から、自分でこんなのあったらいいなぁっていうのをちょこちょこつくってたりするんですけど、でも、大まかに今、手創り市に持っていってるラインは、殆どその時に出て来た。つくりながらこういうもの、こういうものって増やしていったもの。だから手創り市に参加しようって思わなかったら、小物とか雑貨とか文具とかこんなに早くはやらなかったと思います。いわもとさん、さまさま(笑)」
名:さまさま(笑)
月:「でも何か結構そういう事ってあるかなって思って。自分自身、こういうことないかな?こういう機会ないかな?と探していて、たまたまいわもとさんに辿り着いて、いわもとさんが言ってくれた一言で、ここに面白い物があるのかもって、気付いたりする事結構あるじゃないですか?だから、自分自身が、手創り市に出店してて、「興味あるけどまだ出せません。どうしたらいいですか?」みたいなお客さんも結構いるんですけど、なんかそういう私が放つ何気ない言葉が、その人の人生だったり、その後を大きく左右するんだったら、なるべくポジティブに勧めていきたいなとは思います。自分もそうやって、誘って貰ったから今があるので」
名:いい例ですね。
月:「いい例ですねー。いわもとさまさまでございます(笑)」



名:何か質問したいことありますか?ユキ君何かある?
ユ:俺は今日はもう、勉強させて貰ってます。
月:「あははは(笑)。眠りそうだー。大丈夫(笑)」
ユ:いえいえ。真剣に聞いてます。
植:じゃ、あの、実際、アトリエを持って月日さんやってるじゃないですか?で、つくる事と、生活する事、そのバランスの取り方っていうのをどういう風にしているか? 気を付けてる点などありますか?
月:「気を付けてる点? つくる事と生活する事?」
植:分けてなければ分けてないでいいですし、こういう所は分けてるとか?
名:ONとOFF。
月:「ONとOFFは、家と、寝たり食べたりする場所と、仕事する場所が違うのでそれは必然的に」
植:空間が変わる事によって。
月:「ここ来たら、カチっと仕事モードになる訳じゃないですけど」
名:まぁ、寝ないようにとか。
月:「そうですね(笑)まぁ、仕事しよう!みたいな感じで」
名:お菓子ばっか食べない様にしよう。
月:「そうそう(笑)そうですね、一本筋が入って来るというか、通るというか、ああここ来たら月日工藝の仕事しようっていうようなスタンスに自然となるので。逆に家と仕事場一緒の人の方が大変なのかなって思うんですけど。私だったら、夜中迄やる日ばっかりになっちゃうのかなぁ。わかんないですけど。ま、そういうのもいいですよね? 家と仕事場繋がってても」
ユ:広ければいいですけど。
月:「広ければ!(笑)そっかー」
ユ:あんまり狭いのもね。
月:「作業して片付けてとか、大変ですよね」
ユ:なんかやっぱり、気持ちの切り替え、僕は場所だったり、時間だったり色々なんですけど、でも曲とかは自分の部屋でつくってるから、繋がってるんですけど。今二階建ての家に住んでて、一階はリビングで、二階は、まぁ自分の部屋っていう所でやってるんですけど、やっぱ切り替わる。
月:「階段で」
ユ:どこに住んでても、ここで切り替えだっていうのを作れば。
月:「聖域みたいなものをつくるんですね」
ユ:ここだったらすぐ寝ちゃいますけどね。
月:「あはは(笑)」
ユ:寝て、起きてからやる。
月:「寝てONにする(笑)」
名:寝てから考えよう。考えてからまた後でやろうみたいな。
月:「そっか、確かに、眠りは誘う」
名:逆に、僕は切り替えないですね。
月:「あーー」
名:切り替えないって決めてるっていうか。
月:「敢えて」
植:ずっとすべてのことが関わって来る。
名:うん。うん。ホントだから、手創り市にしても、昼間の仕事にしても。人に話すとだいたい「え!」って言われるけど。
月:「切り替えないって言うと?」
名:いや、昼間何してるんですか?って言われて。中には、こいつは仕事してねえだろうなって思ってる人もいて(笑)、それなりの立場でやってますけれど、そことここは別個でもあるけれど、そもそも公私分ける理由がない。
月:「多いと思いますよ! みんな手創り市の資金だけで暮らしてるんだろうなって思ってると。そういう人多いんじゃないですかね?」
名:後は、すごいお金持ちのぼんぼんで、世間知らずの人だとか。
月:あははは(笑)なんか面白いそれ! 金持ちの道楽的な感じ」
名:お坊ちゃんで、だからいつもあんな好き勝手言ってるんだろうなって(笑)
月:「でもすごいですよね? 昼間仕事して、それで手創り市に賭ける熱もあって」
名:ホント、繋がってるっていうか。すべていきてますよね?rojicafeやってる時も、一見昼間の仕事も関係ない様に見えて、すごく繋がりがあるし、わけるなんて考えはない。

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名:最後の質問は今後の目標ですね。すぐ目の前のことだったり、中期的だったり、長期的であったり、ま、色々あると思うんですけど、それを教えてください。
月:「まず、身近な所かぁ。目標というかやりたいなと思う事なんですけど、工房に遊びに行きたいっていう人が居たりとか、あと、来てくれたお客さんが話してだいたい帰るってことが多くて、その中から声が多かったのが、ワークショップだったりとか、ちょっと自分でやってみたいとか、そういう声が結構あるんですね。で、教室っていうと、ここで毎週教室っていうと私には重荷になってしまうし、工具も人数分同じ物を揃えるとかだと、後々管理とか大変だなとか思って。ワークショップだったら、アイテム的に決まっている物を一つ、形は好きにつくるっていう風にすれば、結構気軽に出来るんじゃないかなと思って。この場を楽しみながら、くだらない話しをしながら物をつくるっていう。普段金属を扱うことって知識ない人には殆どないと思うので」
名:叩いてみたいですよね?
月:「そうそうそう。叩いたり、好きな文字を刻印したりとか。そういうワークショップをここでやってみたいなというのはありますね」
名:いいと思いますよ。
月:「はい(笑)」
名:そのワークショップはご飯付きますか?
月:「付けなきゃダメですか?ラーメンでいいですか?」
名:ラーメンでもおにぎりでも。
月:「何かケータリング? おにぎり、パン、サンドウィッチ!」
名:サンドウィッチか…(苦笑)
月:「まぁそうですねー。やれたらなーとは思います。長期的なもの?なんだろう?なんか長々やっていく内にまた新たな展開っていうのは見えて来ると思うんですよね?想像できなかったお話しが入ったりとか、そういうのに対して、常に素直で受け入れられるようにはしたい。もちろんダメならNOとはいうんですけど。だから、そういう余力を自分に持たせつつ。最終的にやりたいのは、あんまり、こうして言葉にすると大袈裟過ぎて木っ恥ずかしいですけど」
名:文字にするともっと(笑)
月:「どうしよう。まぁ、言うか。地域というか、自分は今、一人で、家族も自分の両親とかくらいだし、今後家庭を持ちたいとは思いますけど、その時に子供との関わりってあるじゃないですか? 子供の時に感じたもの、感じたことって、感じた景色、そういうのって今の私にも色濃く残っているというか、それがすごく大事なことだったりするものって多いと思うんですけど、あの時にこういう大人が周りに居たら面白かったかもな?という風に後から思った事もあるんですよ。子供に対して、大人っていうのは、自分の両親と親戚、近所の人とか、友達のお父さんお母さんとか、そういう感じだけが殆どじゃないですか?で、そういうものの価値観の中で、育っていって、その子なりに、これは好き、嫌いとか、こういう風に成りたい、成りたくないとか、その中から見出していくと思うんですけど、そういうのとは全然違う、自分の両親とは全然違うような生き方をした大人がポンと入った時に、世界がばーって開けると思うんですよね? 私とか、私以外、物つくって暮らしてる変な人たちがいるぞ! っていうのを、子供たちが子供の時に、そういう人達に出会ってると、何かもっと、決まりきった将来設計じゃなくて、違う方向に考えていけるんじゃないかな? ってふと思うときがあるんですけど。だから、自分の子供だけでなくとも、地域の子供とかに関わる機会とか、なんかそういう為に出来るきっかけとか、そういうのをゆくゆくは探していきたいと思います。なんか、もっと変な、ちゃらんぽらんな大人が周りにいてもいいと思うのだけど(笑)ていうとあれですかね?そんな決まりきった事がすべて正しいとは限らないし、親が言う事が絶対っていうのも限らないというのも、お互い成長していく内にわかっていくじゃないですか? でも、小さい時から、そういうちょっと変な大人が周りにいることで、生き方のモデルっていうものを色々見る事で、その子自身も自分の生き方を見詰められる気がするなと、思える時があったんですね。だから、そういう面白い大人が集まって、地域の子供を巻き込んで、出来たらいいなっていうのはなんとなくあります。どうでしょうね?(笑)思いません?」
名・植:思いますね。
名:それも思うけど、逆に大人が子供をどこでも連れて行くのはやだなって。
月:「色んな場所?」
名:色んな場所に。例えば、具体的過ぎるけど、回転しない寿司屋に連れてって、好きなものを好きなように食べさせてる。ちょっと話の問題は違うけど、あれはすごくやだなって。
月:「それはわかる。言いたい事はわかります」
名:順序が違うっていうか。
月:「子供は子供の時にしか知らない……うーん、何て言うのか?」
名:そう。子供は子供の世界があるし、大人は大人の世界がある。その上で子供が大人の世界を覗きたいのだったら覗けばいい。あえて、子供を大人の所に連れて行くんじゃなくて、その好奇心があればくればいい、きたくなけりゃこなくていい。でも来る以上は、子供なりの責任を持って来なさいよ、と。あとは大人が見守ってあげてればいいんじゃないかな?って僕は思いますよね。一から十までやってあげるんじゃなくて。
月:「手取り足取りじゃなくてね」
ユ:子供たちが一緒に暮らしていく上で、見える物と言うか、すごい狭いというか。テレビとかも、ああいうお笑いの番組とか、J-POPの番組とか、韓国の番組とか、やっぱりすごい変な人ってのはいないですよね? なんだろうっていうような人だとか、そういうのって自分の記憶の中でも変な大人っていうのは、それに影響を受けるかどうかは別にして、覚えてるし、変な人いたなって記憶、ありますもんね。真面目にサラリーマンやってっていうのばっかじゃ、つまんないですよね。色々見て、自分で選べばいいと思います。
月:「親から言われただけのものでなくて、その子なりのやりたい、やりたくないとか、その子なりの持ってる興味だったりとか、そういうのを伸ばしてあげられる大人が、親以外に周りにいてもいいのかなぁってちょっと思うんですよね。どこまで介入出来るかなんてわからないですけど、そういう場が、イベントだったりとか、どういうものか、形には全然なってないですけど、そういうのがつくれたら面白いなぁと思います。それは例えば、一日だけの物をつくる教室、とか、まだ形はわからないけれど、そういうものからまた違う大人とふれあうきっかけをつくれるかもしれないし。漠然と、将来的な夢としてはやってみたいなぁとは思います」
名:まぁでもそれは子供の為でもあり、自分の為でもあり。
月:「そうですね。うん。うん」
植:僕は団地に住んでるんですよ。隣にH家という家族が住んでいて、僕が21の時に373君という男の子が小学一年生だったんですよ。そこから友達になって、今、彼22歳なんですよ。
月:「あはははは!(笑)」
植:というのがあって。僕が多分、月日さんの言ってる、変な大人だと思って。
月:「いいなーいいなー(笑)」
植:もちろん、どう影響を与えられているかは、別の話なんですけど(笑)そういう近所付き合いがあったりとか、あと、甥っ子姪っ子とかにしても、ここ何年もまともに仕事してない僕と、関わっていけてて、すごく仲も良くって。その関係の中に、何かあるかもしれないですよね?良い影響、悪い影響ありますけど。
月:「何かそういう人が、ふらっと周りにいたら楽しいですよね?そう思うんですよね。ま、自分が自分なりに今迄暮らして来て、今は外で遊ぶんであっても、どんな田舎であっても、親が同伴でないと遊べないとか、そういうのが大変なんだって話を聞いたりすると、子供同士で校庭で待ち合わせね!みたいな形で待ち合わせて、ギャーギャー遊んで帰るっていうのが私たちの子供の時は普通だったけど、そういう私たちが普通にしてたことが今の子たちには普通に出来ないんだって思うとガーンとしたりとか。そうすると子供個々の世界は狭くなってくじゃないですか? 親の管理下でしか物事考えてられなくなっちゃうから、なんか出来たらなーってちょっと思ったり。自分自身に子供が出来たらどういう風に発展していくのかはわからないんですけど、漠然とそう思いますね」
ユ:変わったんですかね? 子供の世界は?
月:「どうなんですかねー? どうなんですかー?」
植:でも、大人が変わったとか、大人が変えたってのもあるよね?
月:「うーん」
植:でも、それって、例えば、僕の甥っ子達は、小学校五年生と、二年生なんですけど、朝六時に起きて、近くの河原迄行って朝練やってるんですよ。子供たちだけで、野球の。 
月:「子供たちだけで? へー!」
植:そういうことも許されてるリアルもあるじゃないですか? だから、もちろん月日さんが言った様に、親同伴でなければ集まれないっていうようなリアルもあるんだけど、色んな場所に色んなリアルがある、とは思っていて、確かに大きく変わったとは思うんですけど、捨てたもんじゃない場所もあるんだなとは思ってはいます。
月:「へーいいですね! 捨てたもんじゃない場所があるのか!いいな。さっきも子供は子供の世界とか言ってたけど、子供は子供同士でギャーギャー遊んで、そっから生まれるものって結構大事だと思うし、親以外の人と触れ合うことで、その人に怒られるとか、生き方を見るとかで、すごく影響される部分もあると思うから、家からちょっと出て欲しいなぁとは、すごく思う」
名:子供同士で遊んでると、語弊あるけど、ある意味馬鹿だから、抑えが効かないっていうか。大人がいると、ここ迄いいよ、ここまでなら大丈夫だよってなるけど、抑えが効かないからどこまでも行っちゃって、最後に大人に怒られる。
月:「ははは(笑)それか怪我するみたいな(笑)」
名:それが、学習になるというか、記憶になるというか。そんな記憶や学習があったりすると、次に繋いでいけるっていう。別に大人が教えてやろうと思って繋げるんじゃなくて、怒って繋げる?みたいな。で、その怒った人も怒られたと思うんですよね?だから無理に教えようとしたりしなくても、ほっときゃどうせ怒られるんだから、問題起こすし。それはすごく思うかなって。
ユ:一人で怒られるのはやだけど、みんなで怒られるのはそんなに傷付かない。
月:「ふふ、確かに!(笑)」
ユ:やべって感じで。
月:「一人で怒られると怖いですよね?」
ユ:心の傷ですよ。
月:「ふふふ、何の話でしたっけ?(笑)」
名:締められないね〜?(笑)
植:目標ですよね?(笑)
名:ワークショップはいつ頃?
月:「年内にやりたいですね!」
植:早いですね!
月:「出来ればねー」
名:それは年齢制限ありますか?
月:ないですよー(笑)子供とか、おじいちゃんとか?
名:子供と大人は一緒に出来ないとか?
月:「あ、全然。でも、流血して文句言っても知らないですよ(笑)。痛い思いして覚えることもあると思うから。そういうのをちゃんと受け入れられる人だったら誰でも大丈夫です」
植:すぐ、さっき言っていた大きな目標が叶いそうですね。
月:「そんなことないです(笑)。変な大人に触れられて痛い思いし学習するってい(笑)」
名:じゃ、年内中にワークショップやるってことで。
月:「頑張ります(笑)」
一同:「ありがとうございました!」

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月日工藝 HP http://www.tsukihi.net/

ARTS&CRAFT静岡 名倉
shizuoka@tezukuriichi.com
※ご感想は上記mailまでお気軽にどうぞ。




月日工藝さん、アトリエへ



どうも名倉です。
久しぶりのアトリエ訪問で南足柄の月日工藝さんのアトリエにお邪魔してきました。


台風明けの関東の空、橋の下の酒匂川は結構な流れでうねるようであった。

ユキくんの運転に揺られながら到着。
月日さんと合流し、昼食をとった後早速アトリエにお邪魔する。
月日さんのアトリエは築75年の民家。
それに手と時間をかけ、大切にしてつくられてきたのがよくわかる。



アトリエ内には制作の道具が順序だって置かれているように感じられた。
たたくものであったり、けずるものであったり、火をあつかうものであったりと様々な道具があり、それらは全て使い込まれていて、磨かれた道具としてそこにある。



また事務作業などを行う周辺には、お気に入りの本やものがあり、そうしたものはこのアトリエ内のいたるところにさりげなく置かれていて、まるでこの家に元々あったかのうように馴染んでいた。



アトリエ内を撮影し、作業をしているところを見せていただき、インタビューを行う。
インタビューでは、失礼ながらこちらが考えている以上に、彼女は自分の考え方ややってきたこと、やってゆくだろうことが整理されているのを感じた。

インタビューの中でとても印象に残った言葉、
「失敗なんてない」
それは失敗と思えばもうそれは失敗で、失敗と思えるものの中に様々な可能性がある、そう思えば失敗というものはない、という彼女の意志を感じた。





月日工藝さんのアトリエ訪問記事のアップは今日から2週間とちょっと経ち掲載されます。

週末は静岡へ。
私も毎号読んでいる某雑誌から秋季開催の取材申し込みが届き嬉しい限り。静岡の面白さを知ってもらうのに良い機会であり、とても素晴らしい企画。ありがたいことです。

会場にはご来場者専用駐車場は御座いません。ご注意ください。

<ARTS&CRAFT静岡 2011年秋季申し込み始まりました。
ARTS&CRAFT静岡運営スタッフ を募集しております。お気軽にお問い合わせください。>

名倉哲
mail :
shizuoka@tezukuriichi.com
twitter : https://twitter.com/#!/a_c_shizuoka








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