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2014年 くらしのこと市 ルポ・番外編



*くらしのこと市 ルポ・前編*

*くらしのこと市 ルポ・後編*



2014年 くらしのこと市 ルポ・番外編

- 名倉とくらこと、そして手創り市 -



今回のこの企画記事は、僕の提案で起しました。

それは、名倉くんが以下のインタビューの中で、「覗き見趣味じゃないけれど、お客さんのことが知りたい」的なことを述べた時、様々な記憶がズババババとつながり、この企画を提案することに決心したのです。


その記憶とはまず、手創り市を卒業した身ではありますが、主宰者の名倉くんと時間を共にすることが未だにあり、その度に、彼の黒い部分を見付け、あんなこともしゃべりたい、こんなこともしゃべりたいと常々思うから……というのは嘘で。

ブログや、手創り市の会場を通じて、彼をイメージすることは出来ても、やはり、その距離はまだまだ人によっては遠くにあるように日頃思うからです。当たり前だけど。


僕は普段、よく友人や作家さん、そしてスタッフさんにまで「名倉さんてどんな人なの?」と質問を受けます。

そんな経緯もあって、主宰者である名倉くんの、素のことばを、出来るだけフィルターを掛けずに届けたいと思いました。くらことが終わって翌日、東京への帰りの車中で、このインタビューは遂行されたのですが、その内容の面白さにライターとしての使命感は燃え立ち、こうして活字にした所在であります。


そう、ライターとしての僕は、誰かと誰かをつなぐためのパイプラインのようなものだと思うのです。


そんな訳で、あなたと名倉くん(以下、名)を上手くつなげるかどうかはわかりませんが、ここに記した記事を読んで頂けたら幸いです。



植「三回目を迎えた「くらしのこと市(以下・くらこと)」。回を重ね、イベントとしての変化を教えてください。」


名「今回トークショーはなく、それにプラスアルファして教室がありました。教室は以前、ジャムの教室があったのだけど、それが自分たちの準備不足もあったので…… 今回はスタッフの橋本さん、作家さんはchiiiiiiicoさんにお願いしました。あとは、くらしのギャラリー

『 r o o m s 』をどうにか形にすることが出来ました」


植「chiiiiiiicoさんに教室をやってもらったことによって、名倉くんが思った点を。」


名「つくるものはブーケブローチ。単に当日、chiiiiiiicoさんがいて、お客さんがいるって教室をするっていうのではなく、リハーサル時に、くらことスタッフがブーケブローチをつくりました。それを開催当日会場でつけることによって、それがお客さんへの訴求効果として、実際使ってる場面を見て貰って、お当日参加につながるということがあったんだよね。もちろん、事前予約で埋まるのが一番いいんだけど、chiiiiiiicoさんの作品を見て、スタッフがつけているのを見て参加して貰うっていうのがリアリティーがあるから」


植「教室を外から見ての感想を聞かせてください。」


名「カフェの空間を「動」だとするなら、教室は静かな空間「静」。この二つが同じ建物の中にあったことが良かったというのが、終わってみての気づきでした。何故なら生活というものは「動」と「静」の両方があって成り立っているから。そういうことが結果的に形になっていたのが良かったなって」


植「他にくらことの企画を通しての気づきはありましたか?」


名「くらことブログの連載企画で「休日の朝食」というのがあって、そのコーナーではスタッフや作家さんたちの休日の朝食写真と文章が載せられてる。そこで、個人的に面白いなって思ったのは、ある意味、身内のスタッフの記事を見て、普段こんなもの食べてるんだ、こんな写真の撮り方するんだとかあって。食卓って器と料理だけじゃなく、その周りの景色も含めて「食卓」でしょ? 誰とは言わないけど、H本さんの食卓の周りはこんなんなんだ〜意外と女子なんだねとか、そういうのが面白かったけど…」


 

 


名「それって当たり前の事なんだけど、当たり前のことに改めて気づくのは意味のある事だと思うし、互いを知るってことはそういう事だと思うから。身内のスタッフの姿を見ただけかもしれないけど、みんなやっぱり普通の人なんだよね。どんな人のくらしにも、食卓という景色があって、それを見れるだけでも良かったなって。多分これはくらことをやってなかったら、こういう切り口をつくらなかったろうし…」


植「それはお客さんが、作家さんやスタッフさんの食卓を見て、名倉くんと同じように感じたこともあったでしょうね。」


名「今思ったけど、お客さんから「休日の朝食」の公募をやってもいいかもね。これは単に覗き見趣味的な部分もあるけれど(笑)。あと「くらしとは何ぞや」という思想的なもの、大上段から構えるような、そういうのにはこれから続ける上でも陥りたくねえなって。普通の人の日常だよね。その普通を人に見せる時に、やっぱり少しだけ特別を見せる訳でしょう。その、少しだけ特別を見せる、が整えることに繋がり、切り替えることのスイッチだったり、自分自身でつくるマナーというか、そういうのがあればいいんじゃない、って…」


名「こういうくらしをしましょう、とかそういうバカなこと言いたくないし、提案出来るほど偉くないし、そんなもん余計なお世話だよ。誰か一人がつくった崇高で為になる思想よりも、私はこういう物をつくれるんですとか、なんでもないけれど、個々にとって小さな特別を集めてみせた方がよっぽど社会的だし、今気づいたけれど、リアルな場で常にそういうことがしたいんだろうなって」


植「はい。」


名「『作家さんの器を買って暮らしを豊かにしましょう』って言った瞬間、後悔するよね?げんなりだよ。結果はそういうことなんだろうけれど、それを言っちゃダメでしょ。逆に自分が言われたら、あいつアホだなって思うし。作家さんもそんなつもりでやってなくて、使って貰うことは嬉しい。けど、教育したい訳じゃないから」


植「くらしの中で外とのつながりを意識するように、小さな特別を誰かに用意することによってそれがスイッチになるって発想は、当たり前のことだけど面白いですね。」


名「仮に、気心の知れた友達を招いて家で食事会をする時があったとして、そこに作家さんから買った、自分にとって特別な器に料理を盛り付けるのはいい。自分がスタッフとして作家さんのことをよく知るようになって、作家さんが想いを込めてひとつの器をつくっているのを知ったりとか、作家さんの作品に対する好き、あなたが好きだとか、気持ちをお金ってゆうチケットで作品と交換する訳だよね。だから、基本的には作家さんの器や作品を譲ってもらうのは駄目。対価は渡すべきだし、受けるべき。で、友達を招いた時にその器の周りのテーブルコーディネートは普段通りでいいと思う。そこにお金を掛けるだけなのはくだらない。何故ならお金を出せばなんでも大抵買えちゃうから。世の中に物が溢れ過ぎちゃって、本当に心の底から買いたい物ってあんの?心の底から欲しいものとは実際考えないでしょ?ということは、やっぱないんだよ。今、いろんな場所で個人のつくり手が集うイベントがあって、それがおおよそ是として世間から捉えられている。一人一人がつくった物に愛着が沸くっていう風になった。であれば、全部が全部、特別なものじゃなくて、自分の家の近くにある山や川っぺりとか、その辺から植物を摘んできて飾った方が招かれた人としても嬉しいと思うんだよ。そこにはすでに個人的なストーリーがあることが共有されている訳。それから、招く気持ちが重要だから、花屋で買うことが悪いとは思わないし、そこにも意味があるだろうけれど、そうじゃない方法だってあるよね?ってこと… かっこいい雑誌に影響されて、適当な場所で購入した適当なものを並べたところで、なんになんの?って話だよ。他人様の勝手だけど、俺は少なくとも、自分のまわりの人間にはそういうことを話すかな。なぜって、自分たちでものごとを作ってゆく為には、俺独りじゃ出来ないからね…」


植「例えば、近所の山なり公園なりで植物を貰って来て飾るじゃないですか?そこには植物を摘んだ人の感情なり想いが乗っかるだろうし、その体験は非常にパーソナルなものですよね?花屋で買うって体験もパーソナルなものなんだけど、近所から植物を摘むって方が、より素の自分が出るっていうか、ストーリーとしても面白いし、伝わり方も違うのかなって。」


名「そうだね。パーソナルというものを… A4の紙があるとして、そこに針で穴を開ける。針の穴は、その紙に近付かなければ穴の向こうが見えない。だけど、近付いて、その穴に目を凝らすと、小さいはずの穴が大きな穴になって、視界が広がってむこうの景色が見えるようになる訳。物事は本来、お互いにそうであった方がいいと思う。個人という切り口を起点にね。小さい穴に近づいていって、眼を凝らして向こうの景色を見ること。自分がやりたいことは、常にそういうことだと思う」



植「次に『 r o o m s 』。」


名「ある作家さんに、護国神社とくらことの会場と現場での違いは何ですか?って、疑問を投げられたんだよね。この際、苦言でもいいや… それは両方の会場に出て貰っている作家さんに。その疑問は自分の中でもくすぶっていたものだったんだよ。見ないようにしていたんだろうね。ズルいけど… とはいえ、それぞれの会場でコンセプトは違う訳。でも、コンセプトっていうものは、ある種言ったもの勝ちなとこがある。悪い言い方をすれば『飾り』。極端なこと云えば日本の選挙公約みたいなもの。守らなくてもいい公約ってなんだ?ってことで、コンセプトがひとり歩きしてしまうこと、そこから遠ざかってしまうことってある、はず。これは人に云われると嫌だから自分で云うけれど、極論ね。厳しい見方をして、現場での違いを見ると、決定的に変わったところがあるかないかで言えば、ないなって。それが、これまでのくらことだった訳ですよ。残念ながら…」


植「はい。」


名「そういう風に疑問を投げてくれた作家さんに対して嬉しいし感謝だけど、まぁ、正直悔しいよ。で、現場のことを考えて、Satoという場所で僕らと作家さん、お客さん、ひとつにつなぐものは何かって思った時に、くらことは器から始まる、ある意味それは食卓の景色づくり。器から始まる景色をつくっていくという事。という事は、出展している作家さんの作品をひとつの食卓でまとめて見て貰うということ。手に取って貰えるということ。そういう場所をつくれたらいいんだろうなあって思って。でもそんなことを改めて考えだしたのは開催2週間前で……。なんとなく会場内にテーブルを並べてそれっぽくインスタレーションをやるってことは、絶対につまらない事だと思ったし、そんなものが会場にあったら恥ずかしい。で、『rooms』のギャラリーとなる元・木工作業所で僕たちも何度か打ち合わせをしていて、作業所の荷物も段々減ってきたりとか。空間としては小さな部屋が三つ並んであって。一日通しての光の入り方、抜け方、一日中明るい場所や暗い場所など、全体とディテール、空気感含めてなんとなく自分でわかるようになって、この場所いいなって思って。ここでギャラリーという形で出展者さんの作品を展示することが出来たら、ひとまず、自分が疑問を投げられて感じこと、やらなきゃなって思ったことが出来るなって思ったんだよね…」


名「だけど、その時はすでに開催10日前くらいで……。イベントをやるにあたって、開催10日前に新しい企画を立てていいかっていったら、それはダメでしょ。でも頭の中では「やる」ってことになっていて…計画性がないというより、計画していたものを壊す癖がよくないよね…で、まずスタッフに企画書というより、こういうことがやりたいんだよね、っていうメールを投げて誰からも反応がなかったら、スタッフあってのことだから止めようと思ってた。けど、橋本さんからメールが良い反応がきて、彼女は来年やるもんだと思ったらしいけど、すぐやることにして、スタッフ皆に、「開催前に申し訳ないけれども、名倉がこういう企画書を送りたいと言っていますが、送らせて頂きますのでよろしくお願い致します」ってメールを作家さんに出して貰って、そこが本格的に動き始めた地点だね」


植「作家さんの作品は、当日の朝集めたのですか?」


名「そうだね。本当は前日準備の日に集めておきたいっていうのもあったのだけど、そんな余裕もなかったので。当日、ブースに作品を並べ終えた作家さんから集めました。荒いね…」


植「『 r o o m s 』という空間が、一人の作家さんの疑問から始まり、名倉くんとしての疑問へのリアクション、スタッフさんを含めて生まれた訳ですが、結果この『 r o o m s 』はどんな風に着地したと思いますか?」


名「まずスタッフに作家さんへのメールを投げて貰って、すぐビジュアルをつくって作家さんに案内したんだよね。そんな中、磁器を制作している松本美弥子さんに「こんなのも使って欲しい」って言われて、それはすごく背中を押された瞬間だった。都合のいい解釈だけど、他の作家さんも、何か面白そうなことが始まったって協力してくれるだろうと思えた…」


名「話は少し逸れるけど、前夜祭があってさ、宴がなかなか終わらないわけだ、とっとと寝りゃいいのにね(笑)。そんな中、松本美弥子さんから「名倉さんの企画が10日前に来て、正直嫌だなって思ったんだけど、名倉さんの中で何かが動き出したんだろうなって思った」って言われて、「どうして名倉さんはこの企画をやろうと思ったんですか?」って、気持ちよくお酒飲んでるのに真面目な話しされてさ、冷静になってしまったよ(笑)。その席の向かいに、同じく焼きものの近藤さんと金工のyutaさんがいて、二人とも、そのことを聞きたかったんだよ!よくぞ聞いてくれた!!みたいな顔でこっちを見てるしさ(笑)。そうなりゃあ、真面目にさ…いつもみたいにふざけて答えれなかったね。で、宴をとりあえず終わらせて、終わってから作業所に行って、『 r o o m s 』をつくりました。本当に、きつかったね…」



名「その後もちろん寝るんだけど、気が高ぶって寝れなくて。1時間半ほどして起きてシャワーを浴びて、現場のことは高山中心にやって貰えばいっか…と本人いないのに勝手に投げて、『 r o o m s 』は一生くんに手伝って貰って、作業所に行って『 r o o m s 』をつくった。まるで時間のない中で、企画書をつくって、作家さんに声を掛けて……大失敗する可能性もあった訳だよね。そんな中、朝八時頃に欲しい光がやってきてさ、そこでロウソクに火を灯した時、自分だけど自分じゃない目で、その空間に感動した。頭の中で音楽が鳴ってた。で、いつもどおりの馬鹿な自分が「あ、すごい良い空間が出来ちゃったな」って。嬉しかったよね。イメージしてた空間が出来上がったから。結局、ギャラリーという器をつくったのは僕だけど、器に乗せる料理だったり、果物だったり、植物だったりを運んでくれるのが、今回の作家さんの作品なんだったんだなって思えたし、作らせてもらったとしかいいようがない…」



植「作家さんから直接感想は聞きましたか?」


名「特別聞いてないけれど… 開催終了の一時間前くらいに、ギャラリーにたくさん作家さんがいて。思い思いに写真を撮ったり、本を読んだりしてたんだよね。嬉しかったよ。だからまあ、恥ずかしくて「どうですか?」とは聞けないな(笑)。でも、これは焼きもののの前田美絵さんが言ってくれたことなんだけど、「『 r o o m s 』がある事で会場が一体になりましたよね?」って。それはそうだなって思った。その時にはもう冷めてる自分がちゃんといたし、だって、それがしたかった訳だからね。」



植「今後のくらことの課題は?」


名「今回作家さんから言われたのは、くらことを二日間やってください、という要望。『くらこと二日間問題』(笑)。これは、一日目の開催があって、その夜に懇親会があれば、そこでみんなが開催を通じたくらことの話しが出来るし、一日目に足りなかったことに気づいて二日目に改善することも出来るだろうし、って。俺はたぶん、寝ないでやるね。まあ、くらことを二日間やるかやらないかについては、散々高山と話し合った結果決めたことなんだけど、それはやはりイベント側の都合でしかない。でも、あの護国神社の開催から一カ月後にくらことを二日間開催したら、スタッフには逃げられかねないしね(笑)。けど、作家さんからそういう声が挙がると、やっぱり考えちゃうよね…」


植「最後に僕の方から聞きたいのですけど、雑司ヶ谷、ARTS&CRAFT静岡、くらこと、そして&SCENEってある訳ですけど、僕の見た感じでは、それぞれの会場が相互作用し合いながら育っていっている感じがありますが……。」


名「外から見てそうであれば、その通りだと思うけれど、その中で皆に一番育ててもらってるのは、俺なんだよ(笑)常に波にもまれて、船は揺らいでさ。それが大変有り難いことを痛いほどわかってます(笑)」


植「そんな状況の中で、名倉くんが今、手創り市全体に感じてる感触を教えてください。」


名「まず、それぞれの会場でスタッフの性格も違うし、それをあまり変えたいとは思わないな。会場ごとの文脈があってのことだから、それは。けど、単純に各会場のスタッフが集まれて食事をする時間、集まることを目的にした時間をつくらないと、互いの会場の共通項も、違いもわからないでしょ。その為には長く続けていくことがまず第1だろうね。続けていれば交わる時があるだろうから。話変わるけど、誰彼問わず、人を変えたいとは思わないんだよ。感じた人が変わることを選んで、勝手に変わるだけだから。仮に、他人の為にやってることでも、すべては自分のため。俺は絶対にそうだと思ってる。自己の欲求や欲望、業をちゃんと肯定しないと。手創り市に限らず、自分発信で何かを企てる人がもっともっと増えたらいいな。動機は世間じゃなくて、自分の中にあればいい。なにかを始めれば嫌でも世間とむきあうし、始めたいのに始めない人はそもそも世間に相手にもされないだろうし、埋没しておしまいでしょ。それに、大人になると頭でっかちになるのは自然なことだし、なくてもいいプライドぶらさげちゃうじゃん?で、知識がイコール経験になりかねないでしょ?そう思うと、人の感性なんか知らないね。自分の感性くらい自分でどうにかしろって思うじゃん。だからさ、俺は自分が興味のないことには出来るだけ時間を割かず、自分のことでほんとうに必死です。」


植「ありがとうございました。」


*文章とは関係ないけれど、とってもいい表情の、写真*


これで、3部構成によってお届けした、『第三回くらしのこと市ルポ』を終わります。

今回のルポこそは短くまとめる形にしたい、と思っていき込んだのですが、

やはり、持ち前の編集能力の無さと、ボイスレコーダーとこの記憶に刻まれた

みなさんのことばが面白くて面白くて。

なかなか削れないという、いつもの結果となってしまいました。

それはそれ僕の性のようなものなのかと、なんとなく思います。

今回も長文にお付き合い頂き本当にありがとうございました。

それではまた! 



うえおかゆうじ


【くらしのこと市とは?】

静岡市内山中の足久保にある木藝舎Satoにて開催の
暮らしに寄りそううつわを中心とした市。

日々の食卓を彩るうつわのつくり手が集い、

使い手と繋がることで、今よりも少しだけ良い毎日が交差する。

うつわのつくり手を中心に、暮らしを彩る道具、

素材にこだわった食品を提供するお店も参加を致します。


※くらしのこと市へのお問い合わせは下記メールまでお気軽にどうぞ。

facebook : https://www.facebook.com/shizuokatezukuriichi  





2014年くらしのこと市・開催ルポ【後編】


*くらしのこと市ルポ・前編*clicks!!



2014年・くらしのこと市ルポ【後編】



次にお話しを伺ったのは、スタッフさんの荒巻さん(以下、荒)だ。


*彼女は写真向って左端*


彼女は来年の二月でARTS&CRAFT静岡のスタッフさんになって一年を迎えるという。

そんな荒巻さんに、護国神社とSATOの会場の違いから感じていることを聞いた。


荒「くらことは護国神社の会場とは違い、自分の時間をたくさん取ることが出来た。そこで、作家さんやお客さんと密に話すことが出来たり、ギャラリーや会場を時間を追って一日を通して見ることが出来て楽しかった」


植「荒巻さんを見ていると、スタッフ一年目にしてかなり活動的に関わったという印象がありますが。そんな中、感じたことを。」


荒「一回の開催をつくるということに、想像、イメージをどれだけ頭の中でやっているかということが大切なんだって。それが勉強になった。私が担当したアキコヤでは、作品を販売するにあたって、作家さんの立場に立って考えようと努めました」


植「その中で、意識的にしていたことってありますか?」


荒「相手の話を聞くということですね。名倉さんや米澤さんや他の先輩スタッフ、自分では考えの及ばないところまで考えがいっているので、話しを聴くことによって自分のものにしようと思いました」


植「この会場ならではの感想を。」


荒「護国神社ではなく、足久保のこの土地まで足を運んでくれるお客さんは、作家さんとのコミュニケーションだったり、作品を見る目っていうものが真剣で。そういうお客さんを見ていると、こちらも気持ち良くて。あと会場がキュッと締まっている中に、ギャラリーや古本があるのもいいですね。特に古本が良かった」


植「本は好きなのですか?」


荒「好きです。最近はエッセイ中心です」


植「エッセイの好きなところは?」


荒「作者のくらしぶりから、その人の頭の中がのぞけるから」


植「良い台詞ですね。ありがとうございました。」




次にお話しを伺ったのは、

『炭化焼成』という手法を作陶に取り入れている小川麻美さん(以下、小)だ。



植「まず、『炭化焼成』について聞かせてください。」


小「器を焼いて冷ます段階で、薪とお米のもみ殻を窯の中に入れると、余熱がまだすごいので、窯の中が煙でいっぱいになって、それで器がいぶされる。薫製みたいな感じなんです。窯は縦に長いので、窯の置き場所によって、炭化が強い部分とか、炭化の掛かり具合が変わって、変化の出方が違う。均一にいかないのが奥深い」


植「『炭化焼成』を始めようと思ったきっかけは?」


小「焼き物をはじめたきっかけが、窖窯(あながま・斜面を利用した地下式、もくしは半地下の窯)での体験で。窖窯・薪窯ってすごくって……。人間の手には負えない、窯の中での変化を最初に見ているから、焼き物ってそういうものだよなっていうのがあり、自分もそういうものが好きなので。でも薪窯は事情があって出来なくなってしまったので、ガスの窯で焼き物っぽいことが出来ないかなって今のやり方になった。これもどこまで変化するかやってみないとわからないので」


植「今、試し試しでやっている感じですか?」


小「試しててもその都度違うんですよね。自動的に形になる訳ではないので」


植「自分の手が及ばないところ、窯、無意識、自然に委ねるということに重きを置いている感じですね。」


小「土は生き物だったりしますので、乾く時点で土の力で器が歪んだりするので、全部整えて整えてって、しようっていうのではなくて、そういった変化も受け入れる。焼き物ってそういうものだよってお客さんに伝えたいですね」


小川さんの器には、人の力では配置できないであろう模様や色彩の濃淡、

粒状の凹凸が見て取れた。僕はそこに小川さんの器の魅力を感じるし、

小川さんもまた、そういった器たちがどういう工程を経て出来上がるのか?

を、素人の僕にもわかるように丁寧に教えてくれた。「焼き物ってそういう物」

ということを伝えたい、と言った小川さんの熱意は、器のつくり手である彼女から

ひしひしと伝わって来た。そしてその熱意の証として、そこに彼女のつくる器があった。



次にお話しを伺ったのは、カフェスペースの隣で「くらしの教室:ブーケブローチを

つくりませんか?」を行ってくださったchiiiiiiicoさん(以下、C)

教室でつくるブーケには二種類あり、ひとつは花を中心につなぎ合わせていく「小花とつぼみのブーケブローチ」。もうひとつは男性にもお薦めという「木の葉と実のブーケブローチ」。



C「それぞれの作品はブーケにするので、それぞれのパーツのつながり方に個性が自然に出るというか、それぞれ違うものが出来るんです。レイアウトの仕方でサイズも全然変わってくる。お花とか葉っぱとかって、まとめるだけで可愛いんですよね。上手いとか下手とかじゃなくて。そこは植物をモチーフにしてる良いところかなって思います。年代問わず、親子だって付けれるし、お花とか葉っぱとかって誰でも似合うじゃないですか?」 


植「chiiiiiiicoさん作品には、伝わりやすさだったり、POPセンスがあると僕は思うのですけど、ご自分ではどう思われているのですか?」


C「ありがとうございます。よく言われるのは『独特』。一度見ただけで私の作品ってわかるって感想を頂くことが多いです。もともと私はプロダクトデザインをしていたので、そういう色が自然と出ているのかな?今回みたいに、わりと自然にブーケをつくってくみたいなものって初めてなんですよ。自分の作品だとかっちりつくりたい派なので。自分の作品はかっちりしていると思うんですけど、今回のワークショップはラフにつくって貰おうと思って。結構毛色が違うものが出来たかと思います」


植「何か教室でのエピソードがあれば?」


C「五月に挙式を挙げる方が来て頂いていて。そもそも今年の二月にキャトルエピスで行われた『jewelry & chocolate』で私の作品を見て頂いて、来てくださったんですね。普段は護国神社に近い場所で勤めているらしいんですけど、その日が毎回、勤務のため会場には行けないということで。今回のくらことを狙ってわざわざ来てくださった。それがとても嬉しいかったです」


植「今回、この教室の企画を一緒に進めたスタッフの橋本さんについて聞かせてください。」


C「橋本さんは、歳の近いのもあってか、フランクな感じで話せるので、色々と聞きやすくて助かりました。普段、他のクラフトフェアだとビジネスライクになるんですけど、橋本さんの場合、それもなくて」


植「そこから信頼が生まれた部分もあったのですかね?」


C「それはあったと思います」



そんな橋本さん(以下、橋)に今度はお話しを伺った。


橋「2月の『jewelry & chocolate』にchiiiiiiicoさんが出てて、ローズマリーのブローチを見て、「これっ!」って思って。chiiiiiiicoさんの作品なら、女性が好きそうなキラキラっとしたアクセサリーよりも、もうちょっと中性的につくる楽しみが感じられる教室が出来るんじゃないかなって。くらことは器が中心だけど、それに色を添える教室になると思ったのでその場で口説きました」


植「そんなchiiiiiiicoさんの印象を。」


橋「chiiiiiiicoさんは、何か言えば、色々こういうのは?って返してくれる、っていうやり取りが出来て、今日のこの教室に落ち着いたかなって。どっちかだけが突っ走るんじゃなくて、それぞれの役割があるところをキャッチボールしながら出来たかなって思います」


植「最後に、くらことがこれからどう発展していって欲しいかを聞かせてください。」


橋「くらことは、ARTS&CRAFT静岡の秋の開催から一カ月しかなく、個人的な仕事の理由でダッーと過ぎていっちゃったりしがちだし、年に一回しかないからここに来るまでに、途中息切れしたりとかもするんだけど……今回初めて、色々と自分も加わることが出来たし、前回までよりもしゃべれる作家さんが増えたし、ハルコヤの流れもあるけど、器の作家さんと話せるようになったし、器はわからないけど、器を買ったりしちゃってるので。お菓子目当てにクラフトフェアに来てる人たちでも、単価は安くても、箸置きとか、ブローチとかクラフト品に興味の幅が広がるような、良さが理解して貰えるような、起爆剤になるような何かが出来たら嬉しいなと思います」


植「ありがとうございました。」



ARTS&CRAFT静岡のスタッフさんたちが、

様々な企画を通じ、よりつくり手側にまわりはじめた。





そもそも、作家さんをサポートする会場をつくるのがスタッフの「つくること」だった。

それがいくつかのきっかけ、

- くらことカフェでスタッフさんが自作の料理をつくるようになったこと -

- 静岡手創り市のスタッフさんによる小屋の完成 -

- 毎回会場にワークショップやライブなどの企画を仕掛ける&SCENEの登場 -

などによって、作家さんとお客さんをむすぶための空間や様々なものをつくりはじめた。


その経験によって、作家さんとの共通言語が出来、作家さんとの関係も

変わって行くだろうし、イベントそのもののもつ創造性も変わっていくだろう

と個人的には感じていた。


ただ、つくり手にまわったのなら、つくり手としてのゴールをどこに置くのか?

それをより念頭に置いて欲しいと、今回のくらことで再確認した、というのが

今回のルポで得た印象だ。


と言うのは、つくり手のゴールはつくることではなく、伝わることだと今に思うから。

(これは、独りよがりな作品ばかりをつくりがちな、自分自身への戒めでもある)


様々な企画、ハルコヤ、アキコヤが、作家さんとお客さんをむすぶとあり、

来春、ARTS&CRAFT静岡で展開される予定の『 g r e e n 』や、

その他様々な企画が、作家さんだけでなく、より来場するお客さんにも響くもので

あることを願っている。


いや、でも、お客さんとしてくらことはすごく楽しかったし、

一日があっという間でした!

ありがとうございました。



うえおかゆうじ 



*次回の更新はくらことルポ番外編*



【くらしのこと市とは?】

静岡市内山中の足久保にある木藝舎Satoにて開催の
暮らしに寄りそううつわを中心とした市。

日々の食卓を彩るうつわのつくり手が集い、

使い手と繋がることで、今よりも少しだけ良い毎日が交差する。

うつわのつくり手を中心に、暮らしを彩る道具、

素材にこだわった食品を提供するお店も参加を致します。


※くらしのこと市へのお問い合わせは下記メールまでお気軽にどうぞ。

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2014年くらしのこと市・開催ルポ【前編】


2014年・くらしのこと市ルポ【前編】


今年で三回目を迎える「くらしのこと市(以下・くらこと)」。

第一回目はお客さんとして。第二回目はルポライターとして。

そして今回は「お客さんの目線からみたライティングを」という依頼を受け、

昨年に引き続きくらことにお邪魔することに。



当日は快晴。ここ、足久保にある木藝舎・SATOの緑も陽射しに栄え、

作家さんたちの作品も、陽射しを浴び、いつもとは違う色合いを見せてくれる。


10時スタートのこのイベント。

すでに開催20分前には駐車場に約30台もの車が停まっていた。

スタート前からお客さんが会場を歩く景色を眺めつつ、僕もお客さんの一人として、

会場を回る。


くらことは、130を越すブースが出展するARTS&CRAFT静岡手創り市と違い、

ブースの数は21。

その分、自然と作家さんとのコミュニケーションは、挨拶から会話、会話から

対話へと密に発展しやすいと思った。



ブースが近い作家さんたち同士も、どこか親しげに見える。

それは前夜祭の影響も多々あるだろうし、やはり、この締まった会場が生む

一体感のようなものがそうさせるのかもしれない。



11時からはくらしのことカフェがオープン。

限定50食とあったので、11時前にはカフェの前に行ったのだが、

すでにもう10組程の列が出来ていた。

カフェのスタッフさんに予約をし、指定された数十分後に戻ってみると、

「相席で良ければ通せる」という展開になり、僕は、4人連れのご家族席に

お邪魔することになった。


普段、相席という機会はなかなかないが、今回の経験はとても心地よい思い出となった。


互いが互いを知りたいと思い、多少の気遣いを混ぜつつ、会話を展開していく。

その中の表情、選んだ言葉、場の空気、それらがつくり出す時間を共有し、

互いの中に、ポジティブな種類の印象や様々な感情を見つけていく。

これは当たり前のことだけど、普段のくらしの中でもとても有意義な時間であり、

体験であるように僕は思う。


今回はたまたま初対面だったというのもあり、互いに好奇心を抱きやすかったのかもしれない。

しかし、初対面の人だけでなく、普段面識のある様々な人たちとも、こういった

熱のある対話はいつでも交わせるはず、とつくづく思う。

一期一会といっては大袈裟かもしれないが、互いに、丁寧に対話することで、

そんな時間はいくらでも生み出すことが出来ると、このご家族との対話を通じて

つくづく再認識することが出来た。



ご家族が僕より先に『秋のオープンサンド』を食べ始めていた。

食材を味わうたびに、顔が上気するのがわかる。僕もそれに続く。

山のような盛り付けは、不器用な僕には食べづらかったが、ご家族同様、

僕もその味に上気した。


「前回来た時は、ランチセットが最後の一食だったんです。それを主人と半分にして食べました。そのことがあったので、今回はランチ目当てに、朝早くから会場に来たんです。きっとこのランチセットを目当てに来ているお客さんはたくさんいると思います」


お客さんというのは、大概が自分本位なものだ。

今回僕は「お客さん目線でルポして欲しい」という依頼を受けたので、

ここで気になったことをいくつか。


50食限定という点は、様々な都合で決まったことだとは思うが、やはり、

会場内にランチが出来ないお客さんがたくさんいたように見えたので、

その数は単純に少ないと感じた。ならば、50食限定にあぶれたお客さんの、

お腹と心を満たすような仕組みが必要となってくるはずと、前回に続き、今回も思った。


50食限定というのはくらしのこと市側の潔さであり、誠意であると思う反面、

当日の集客数を予想し、それに見合った料理やカフェの在り方を考えたであろうか?

というのも気になった。


ちなみに、ランチセットのメニューは、まず、オープンサンドが2種類。

パンは、このSATOにて普段パン屋を営む、『サトパン』さんのカンパーニュ。

ひとつはきのことクリームチーズのディップに、ゴボウの素揚げで、

秋の山をイメージしたとか。

もうひとつは、バジルペーストに菜花、ドライトマト、アボカドで、足久保の緑と

夕陽をイメージしているとのこと。

デニッシュは、サトパンさん作。ナッツで秋らしさを感じて欲しい、とのこと。

スープは白菜の豆乳スープ。季節は秋から冬へ。澄んだ空気が感じられたら…と、

カフェスタッフの川手さんがその料理の意図を教えてくれた。



次にお話を伺ったのは、木藝舎Satoの八木さん(以下、八)だ。



八「何より嬉しいのはね、また今年もこのイベントをやれる時期が来て、予定通り準備が出来て、開催が出来たこと。手創り市さんたちは、当たり前のようにやれそうでやれないことをやっているでしょう?そこに感心します」


植「それは、手創り市側も同じ気持ちなのかもしれませんね。木藝舎さんは、手創り市がやれないことを当たり前のようにやっている。そこにある互いの尊重が、信頼を生んでいる部分もあるのかな?と。」


そんな話をしていると、取材をしている僕らの足元で小さな子供が転び泣き出した。

僕と八木さんはそんな子供を見ながら、



植「あそこに木が置いてあるじゃないですか?子供ってああいう木を自然におもちゃにしちゃう。木が置いてあるだけでも、それは遊びに変わっていく。SATOのそういう環境がいいなっていつも思います。ツリーハウスがあったり、砂山があったりも含め。」


八「小さいお子さんからお爺ちゃんお婆ちゃんまで、たくさんの人がここに来てくれるでしょう。楽しんでいって欲しいと本当に思います」


植「今日『 r o o m s 』としてギャラリースペースになった作業所は、もともと、どんなスペースなんですか?」


八「四月くらいまで、家具工場でした。でも下の方に工場もあるんで、仮の工場でしたけど。これからは『サトパン』のパンだけでなく、カフェスタイルでお野菜やスープも出そうと思っているんです。その離れにしようかなと。感性のある人たちにアイディアを出して頂きながら、空間を上手に使って頂けたら嬉しいですね」


植「『 r o o m s 』はいかがでしたか?」


八「教会を思わせるような神秘さ、神聖さを感じました。名倉さんにお祈りすることはないと思いますけど(笑)」



その後、僕も『 r o o m s 』に足を運んだ。

八木さんのいう『神聖』の意味が少しわかるような気がしたのは、

その作業場を使ったギャラリーに射し込む光、その光が生み出す影や、

闇が溜まる場所などが、見事に作品と調和し、それを引き立てていたという点においてだ。

作品の並べられ方にも、一定の大枠としてのパターンがあるようで心地良く、

実は様々な意図が働いているようでもあり、静かでいて一点を刺す様な刺激もある。

しかし、惜しい!と思わせる一面もある。

それは、各作家さんの作品の前置かれたキャプションだ。

その小さなキャプションには、作家さんの作品の写真と名前が印刷されているのだが……。

この『 r o o m s 』の空間をここまでのものに仕上げたなら、

この中にあるキャプションまで、展示空間をつくった時と同じ熱量でつくって欲しかった、

というのが正直な感想だ。

同じ作業所の隣には、古本が様々なレイアウトで置かれているスペースもある。

それも含めてこの静寂とした空間は、とても美しいと思っただけに、

そのキャプションが僕の印象に残った。



次にお話しを伺ったのは、

そんな『 r o o m s 』の前にブースをだす陶器の作家、町田裕也(以下、町)さんだ。

町田さんは茨城県の笠間の窯元で三年間修業した後、地元埼玉の実家に戻り、

その数年後となる、去年の二月から独立を果たしたのだという。



植「独立には勇気が要ったのではないですか?」


町「勇気よりも不安が大きくて。でもタイミングもチャンスもそうそう来るもんじゃない。その不安以上の気持ちでやるって思って、踏ん切りました。それまでの六年間は、会社に勤めたりしながら、毎日「見切りをつける」ことばかり考えていました。その反動ですね」


植「独立してみて、感じていることは?」


町「良いことと悪いことがはっきりする。守られてないからですね。企業や給料日とかいうものに。どういう風にみせて売るか?そのひとつとっても、良くも悪くも結果で現れる。什器ひとつとってもですね。そんな中、大切にしていることは、頭の中にあるものをその手でダイレクトに形にすること。目に見えるものに起こす。形にしないとわからない。くらことや、他の市は、何か統一したものを見せるというよりも、形にしてみて、作ったものを見て貰う。一方、ギャラリーに作品を出す場合は統一。絞り込みます」


植「くらことに参加してみての感想を。」


町「出展者が少ない分、お客さんとの距離感が近いことが印象的です」


それは僕も同感だった。そして実際、今回初対面の町田さんとは、

会場内で何度もばったり会い、お互いに「お疲れ様です」と言い合っていたのだが、

4回目、5回目ともなると、そのばったりが面白くて、笑いながら「お疲れ様です」

と言い合う、ある種のネタのようなものになっていたのだった。

その時の町田さんのとぼけた笑顔は今でも印象深い。

そんな風に作家さんのユーモアに一日で近付けたのも、出展者数の少ない分、

密に関わることの出来る、このくらことならではかもしれないと思った。


そんな町田さんの器は、荒々しい自然を模したような器もあれば、

シンプルな単色の器もあったりと表現の幅が広いように感じた。


将来的にやっていきたいことはありますか?と最後に僕が聞くと、


町「5年経っても、10年経っても、つくるものに幅のあるこのスタイルを崩したくない、というのがその想いです」


と、クリアに答えてくれたのだった。



次にお話しを伺ったのは、現在、埼玉の秩父に拠点を置く

木工作家のうだまさしさん(以下、う)だ。

うださんはもう、かれこれ10数年、木に関わる仕事に携わっているという。



植「うださんにとって、木の魅力はどこにあるんですか?それこそ語り尽くせないほどあるとは思うんですけど。」


う「触ってて気持ちがいいっていうのが一番ですよね。あと、自分がつくりたい造形が、一番表現しやすい。土でもなく、ガラスでもなく、木が僕に合う素材だったっていう」


植「それに気付いていった時っていつ頃なんですか?」


う「過去にテレビの大道具の仕事をやっていたんですけど、その時には気付いていなかったと思うんですよ。あの現場って、つくっては壊してだったんで。で、その次に家具工房で働いて……家具だから、使ってくれる人が目の前にいる。あぁ、この人が使ってくれるんだって思った時に、あぁ、木が好きなんだなって気付いたんだと思います」


植「なるほど。」


う「あとはだんだん好きになっていったっていうのがありますよね。それこそ語り尽くせないほど魅力がありますから。もっとどんどん知っていくと、色んな表情を見せるんで、もっと好きになってくるって感じですよね」


植「知っていくと表情を見せるようになっていくって深いですよね?」


う「知った気でやっていた頃もあったけど、今の方がその頃よりも知っていることが増えてきたっていうのもあるし、まだ多分知らないこともあるし、色んな表現方法もあるから、それを見るのが楽しみっていうのと、冒険とかもありますし」


植「くらことに出てみてどうですか?」


う「『 r o o m s 』も面白かったですね。これは他の作家さんたちも気付いていると思うんですけど、お客さんって、ここで買った物を家に持ち帰った時に「なんか違う」って思ったりすることがあるんですよ。でもそれって、合わない訳じゃなくて、気持ちの問題というか」


植「ここでの記憶が強かった。」


う「そうですね。『 r o o m s 』のように、ああいった切り離された場所に作品があると、それが削ぎ落とされて見れると思います。だから、ああいう場所はいいと思います。お客さんにとってああいう方を求めてる人も多いと思います」


植「うださんもブース・ディスプレイにはすごく気を使われてますよね?そのポイントは?」


う「目で愛でるというか。見て楽しい感覚を大切にしています。お客さんに楽しんで欲しい」


植「今、「楽しい」ということばが出ましたが、うださん自身、つくることは……。」


う「結構楽しいですね!なんだかんだつくっちゃいますよね(笑)」


植「うださんは、くらしの中につくることが組み込まれていますが、それは幸せことだと思いますか?」


う「いやー幸せですよね。これでくらしていけたら幸せですけど、押さえるところは押さえておかないと大変なことになりますしね。自分勝手になり過ぎない。ただつくればいいっていうのもあるけど、俯瞰している自分もいないと散らばっちゃいますよね?」


植「そんなくらしの中で気を使ってる部分は?」


う「ゆとりですね。ゆとりがあると、ご飯をつくろうと思えるし、美味しい物をつくろう、コーディネートしようと思える。何でもやろうという気になるんですよ。それを持たせるためにどう動くかっていう毎日ですね」


植「自分のくらしのリズムをコントロールしてるんでしょうね?」


う「それをずっと意識してるからそこ上手くなったのだと思います」



ゆとりを保つためにくらしのリズムをコントロールする。

それは本当に大切なことだと、僕も日頃から強く感じている。

しかし、僕の場合、それをコントロールするどころか、日々の様々な刺激に右往左往し、

そこから生まれる衝動のままくらしている、といった日々が習慣化していたなと、

最近の自分のくらしを再認識したのだった。

このままでは、うださんの言うように、散在して何も残せずに時間が過ぎていくだけだと。

だからこそ、このタイミングで、うださんのクリアな思考に出会えたことが嬉しかった。



*後編につづく*



【くらしのこと市とは?】

静岡市内山中の足久保にある木藝舎Satoにて開催の
暮らしに寄りそううつわを中心とした市。

日々の食卓を彩るうつわのつくり手が集い、

使い手と繋がることで、今よりも少しだけ良い毎日が交差する。

うつわのつくり手を中心に、暮らしを彩る道具、

素材にこだわった食品を提供するお店も参加を致します。


※くらしのこと市へのお問い合わせは下記メールまでお気軽にどうぞ。

facebook : https://www.facebook.com/shizuokatezukuriichi  





くらしのこと市・ドキュメント 後編

*くらことドキュメントの前編は「こちら」clicks!!からどうぞ*


くらしのこと市ドキュメント・2013年7月・後編


『くらしのこと市ドキュメント・前編』の執筆に関わっている最中、偶然、友人からこんなメールが届いた。

『30歳過ぎたら、人は変わらない。もし変わるとしたら、それは、その人がすごい努力をするか。もしくはカミナリに打たれるか』だと。

前回の『くらしのこと市ドキュメント(以下・くらドキュ)・前編』で、僕は変わることの困難さ、そして、変わることによって得られるものについて触れた。人は変わることが出来たなら、新しい未来に入っていける。『くらしのこと市(以下・くらこと)』のスタッフたちの、自ら変化していこうという意欲や意識に触れ、そう気付かされた訳だが、友人の台詞にもあるように、変わることはなかなか難しい。

しかし、変化を推し進める有効な手段があることに、ここ数年、そして最近特に気付き始めている。それは、日常や習慣を変えること。つまりは行動の内容をまず変えることだ。


僕は、こうしてライターとして原稿に向かっている時間、確かな充実を感じる。その充実の中には、細かな意識の変化や、はっとするような気付きの連鎖がある。言葉を通じてつくること。つくることによって、自分の内面に波紋を与えること。

しかし、その波紋を日常、書いていない時間につなげることが容易かと言ったらそこにはやはり迷いも生じる。それが正直なところだ。


最近、くらことにも参加が決まっているとある焼き物の作家さんに話しを伺う機会があった。

その方に僕は

「自分から逃げ出すと、自分がどんどん疲れていく。そしてネガティブな悪循環に陥る。ならばその逆を行きたい」

と告げた。すると、その作家さんは、

「他人よりも、自分って奴が一番手強い相手だと思いますよ」

と言っていた。その通りだと思った。


『くらこと』のスタッフはどうだろう?彼らを見ていると、そこにはまず、目の前の企画やもろもろのやることがあり、それに対していかにアクションを起こすかを考えているように映る。

それは、彼らの生活的な部分を見ている訳ではなく、企画者とインタビュアーとして関わっているからかもしれないが、やはり彼らの言動には、ある種、自分を推し進める強い力のようなものを感じずにはいられない。もちろん、全員が全員という訳ではなく、迷いを持ちつつ参加しているスタッフもいるが、互いに影響を与えあっているのは確かだと思う。


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2013年7月14日(日曜)。午前中、『くらこと』に出展する作家さんの器にサンドイッチを盛り付け、それを撮影するという時間が持たれた。広い公園の、見晴らしのいい丘にある木陰で行なわれたその撮影会の合間をぬって、まずは、橋本さんに話しを聞いた。



前回のインタビューから約一カ月が経った訳だが、その間『くらこと』がどう動き、橋本さんがどう動いたのかをまず質問した。


「この一カ月は、作家さんへの案内、メールのやり取りを中心に動いていた。サイトに掲載する作家自身の紹介文や、サイト公開の準備などに取り掛かっていました」


その中で橋本さんはこんなスタッフの変化に気付いたという。


「みんなが投げる作家さんへのメールの中に、季節の言葉だったりとか、作家さんへの個人的な言葉が添えられているのが目に付いた」


と。相変わらず、全体のことを視野に入れている橋本さんらしい言葉だと思った。


今回の『くらこと』から『ARTS&CRAFT静岡』での現場リーダーのような位置から、企画する側にその足場を変えた橋本さん。前回の取材では「慣れないことに、自分に無力感さえ感じる」という言葉さえ漏らしていたが、今回その辺りの意識について問いを出した。橋本さんは言う。


「ここ最近、自分でやってみたいと思えることが言えるようになった。企画をやる側にちゃんとまわれたような感触を今、感じている。『くらこと』とは少し離れるけど、秋の『ARTS&CRAFT静岡』での企画で、自分の意見が反映されたということがあり、それも嬉しかった。一方『くらこと』の方では、一時期、忙しくてメールを返せない時期があって、少し乗り遅れてしまった感がある。今若干、傍観に回っているかな。そこを変えていかねば、という感じです」


そんな橋本さんに更に突っ込んで、今回の『くらこと』を通じての『変化』の話しを聞いた。


「お付き合いする人がいて、その人と生活をしていて、相手との生活を考えるようになって、生活により目が向くようになった。そしてそれが結果、作家さんの生活にも目を向けようという意識の変化にもつながった。それが今回『くらこと』に企画者として関わろうと思った大きなきっかけだと思う」


さらに、今後の『ARTS&CRAFT静岡』や『くらこと』について思っていることが話に出た。


「名倉さんは、自分が出来ると思っていることは、誰でも出来ると思うような人。だから、例えばシミュレーションをやっていても、私が「休憩入れましょうよ」とか挟んだりする。そんな風に、名倉さんに逆らえるスタッフを今後育てていかなくちゃダメだなって思う」


そんな橋本さんに期待することを、名倉くんに聞いた。


「橋本さんは、『ARTS&CRAFT静岡』の現場のリーダーのような存在。決めたことを決めた通りやれるし、ただやるのではなく、工夫を持ってやれる。なおかつ、みんなのやれる範囲に合わせらえる。それは頭のいい証拠。前回の『ARTS&CRAFT静岡』開催から彼女自身、くらことの打ち合わせに取り組むようになり、意識的に変わろうとしているのがわかる。橋本さんが変化していってるってことを、周りが見ていくことで、自分たちにとって肥料になる気がする。人が変わっていく過程を一緒に過ごしていくって貴重なこと。『くらこと』を通して皆がそれぞれ変わっていくだろうし、それぞれ表現することについても考えるだろうから」


前回の『くらドキュ』取材時に、橋本さんは「名倉さんや他スタッフが私をどう評価しているかわらかない」と漏らしていた。そして「自己評価よりも他人の評価の方が自信につながるのでは?」とも。

その話しを帰りの車で、名倉くんに振った。僕から観た名倉くんは、なかなかそう言った評価をスタッフに口に出さないと。それを受けた彼は渋い表情を浮かべ「それは事実だから認めるよ…」と言い、それを変えていけるようやっていく姿勢を僕に見せた。名倉くんもまた、変化のただ中にいるし、彼自身、自ら変化していきたいという願望が強くあるように僕には映る。


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話は少し戻って、そんな名倉くんに「逆らえるスタッフを」と、春開催の『ARTS&CRAFT静岡ルポ』で言っていた米澤さん。そんな彼女に、次は話を聞いた。


「前回のインタビューで話したことを自分なりに振り返ったんですけど、何で私はトークショーを不安なのにやるんだろうって?それは、スタッフとして『ARTS&CRAFT静岡』に入った時、一週間くらいで名倉さん高山さんに、ツイッターの担当を任されて。面接の時にツイッターが出来るって言っただけなのに、よく頼むなって。でも、その時点で信頼されていることを感じて。自由にやっていいよとも言われて。人って、相手に出来ること、やれることしか頼まないじゃないですか? という事は、名倉さんは私がトークショーをやれるって思ってるって事だなって。お互いを知っているから、それに応えるしかない。恩みたいなものですね。やれるって思われてるんだからやるしかないだろうって。だから今はトークショーに対して前より前向きですね」


恩は人を動かす。米澤さんはその恩に自然と応えようとしている。

僕個人の話で恐縮だが、僕は、以前に一度、ライターや手創り市のスタッフを辞めようと考えた時があった。

そんなタイミングで、名倉くんから偶然、イタズラ電話が入ったことがあった。いつもの調子で悪ふざけをする名倉くんの電話を受け、やはり手創り市をやっていこう、と思い止まるということがあった。僕がライターやスタッフをやっているのは、やはり、仲間の存在や、仲間との関係性が大きいのだと思う。もちろん、手創り市という場所や、作家さん、作品も好きだ。しかしそれが一番の理由ではない。米澤さんの話を聞いて、そんな事を考えた。


そんな米澤さんに、今回の『くらこと』で期待することを名倉くんに聞いた。


「すべて(笑)真面目に、彼女にはひとつに特化する事なく関わって欲しい。そうしてもらってるし、実際、『くらこと』に参加している新しいスタッフに対して自分なりに声掛けや呼び掛け、気になっていることはないか?など気に掛けてやっているように思う。みんなのことや全体を意識しているように、『くらこと』をサポートして欲しい。そういった意味での『すべて』」


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次に話しを聞いたのは、鈴木一生くん。インタビュー開始から、どうも彼の歯切れが悪い。理由はこうだ。


「『くらこと』に関しては、まだ、見えて来ない部分がありますね。

今は、『むすぶ・鷹匠』に意識がシフトしている感じで、それに集中しています」


そんな中『くらこと』の中でも楽しみにしているイベントがあると一生くんは言う。


「前日祭。会場に前日入りした作家さんとスタッフでご飯を食べながら色々と話す、という企画があります。なかなか作家さんとゆっくり話す機会もないし、それが楽しみですね」


そんな一生くんは、インタビューが終わると、カフェスタッフの二人を中心につくられ、作家さんの器に盛られた、色とりどりのサンドイッチの撮影を積極的に始めた。写真・映像で物事を伝えることを得意とする彼らしい『くらこと』の関わり方だと思った。


そんな一生くんに期待することを名倉くんに聞いた。


「一生くんは初めて『くらこと』のスタッフになって、まだ入口に立ったばかりという印象を受けるよ。これから、会場の木藝舎という場所であったり、『くらこと』のイメージだったりをつくっていったり、増幅していったりする作業をしていくのだろうと。場で人と人をつなげる、というのが一生くんテーマでもあるから、自身の思考がくらことで活かされたらいいと思うよ。その反面、自分に拘り過ぎるとくらことでやるべきことが見えなくなってしまうこともあるから、そのバランスを意識したら彼の良さがもっとスタッフをはじめとする、くらことに関わる人に伝わってゆくはず。結果それが彼の繋がりでもあるのだよね。ということを期待しています。


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午後、場所を『木藝舎・Sato』に移し、ここから今回の『くらこと』のメインでもある『土鍋で炊くご飯』の勉強会が行われた。スタッフたちに土鍋でのご飯の炊き方を丁寧に教えてくださったのは、木藝舎のスタッフさん。皆、彼女の話しを吸収しようと真剣に耳を傾ける。


勉強会が終わり、皆が炊き立てのご飯をめいめいに食べている時間に、高山さんに話しを聞いた。高山さんの『くらこと』での役割、それは、主にWEBのことだ。


「東京・雑司ヶ谷のスタッフ、秋田さんがやってくれていた『くらこと』のWEBの作業を僕が受け継ぎます。基本的には画像の差し替えや、文章を差し替えたり。秋田さんがWEBの仕組みをつくってくれているので、そんなには大変ではないです。そして今回新たに、『くらこと』のブログも追加します」


基本的に、企画運営のスタッフとしては今回も関わらないという高山さん。中心は前述した通りサイトの制作・管理だ。

前回の『くらこと』では、駐車場のスタッフを担当。


「改善したい点?去年は雨だから車の本数が少なかったけれど、晴れた場合を考えると、ここの道路状況ではなかなか難しい側面が出て来る。単純に言うと、車一台しか通れない道がある。そこにスタッフを二人配置してトランシーバーでやり取りする訳だけど、もっと効率の良く、ドライバーに迷惑をかけないやり方があるんじゃないかって思ってます」


そんな高山さんに期待することを名倉くんに聞いた。


「やすたけに期待することってゆうと怒られてしまうかもしれないけれど、今のあいつの状況でやれることをやってくれたらいいし、実際くらことだけでなく、静岡のウェブ全般をやすたけにお願いすることが先日あったね。だから裏方的な存在にはなっているんだけれど、そこは一緒に立ち上げから始めた仲間だから、どんなことでも話してないことがないようにしてゆく。これ、期待じゃないな…」


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高山さん同様、去年は外で駐車場の管理をしていた圭吾くん。


「外の仕事は車の出入りの注意もそうだけど、今度は防寒にも注意したいですね」


そう語った後に、今回の『くらこと』の話しに入っていった。


「去年、作家のこばやしゆうさんが『くらこと』の告知をキャッチしてメールが来たんです。参加したかったって。前回の時には間に合わなかったので、「また声掛けしますよ」って名倉さんが言って。その後、ゆうさんのことを泉谷さんが思い出して、「声掛けするなら自分で声を掛けなよ」って名倉さんに言われたって言ってて。で、僕にその役がまわってきました。結果、ゆうさんは予定が合わずダメだったんですけど」


その後僕は、今回の『くらこと』について、今の気持ちを聞いた。


「まだ発信するものがない感じです。でも僕は、お客さんのひとりに近いような立ち位置にいるのでそこを活かした意見を出していきたい。様子を見ている所ですね。それに対して焦りはありません」


そんな圭吾くんに期待することを名倉くんに聞いた。


「泉谷さんが、『くらこと』らしいブログをやっていこう、とアイディアを出してくれて、それをサポートしてくれるはず。圭吾くんはスタッフ内ではご存知の通りのファンタジスタ。その輝きっぷりを絶やさずにいて欲しいし、真面目な話、彼はわからないことをわからないと言えるスタッフだからみんなも自然と助かっているはずと思ってるよ。そして、圭吾くん自身ひっかかってる部分があれば、積極的に向き合っていって欲しい」


次に話しを聞いたのは泉谷さん。彼女もまた、一生くん同様、まだ『くらこと』の企画者として乗れてない部分があるという。


「モチベーションが下がっていますね。こういう集まるときに集まらないと、なかなかそれが保てない。個人活動は、自分の生活を押してまでは出来ないので、集まりに参加することを大事にしたい」


そんな泉谷さんが今回、何気ない瞬間に発案したという「ある日の食事」というWEB企画。それは、スタッフや作家さんのある日の食事を写真で紹介するというもの。


「その企画を提案しておきながら、なかなか手が回らず、他のスタッフみんなと、作家さん個人個人にメールして貰ってる感じです。本来、私が責任を持たなきゃいけなかったのだけど。スタッフのご飯も撮れる時には撮らなくては」


そんな泉谷さんが最近変わった点は、


「スタッフになって変わったことがあります。お店とかで器を見て、前は作家さんの創作の苦労とか全く感じずに、ディスプレイされている物を見ていたのですけど。自分の生活の中で疲れている時なんかに、「この作家さんの器に肉じゃがを盛ろう」と思った時、この器も作家さんが汗だくになって作ったのだな、と想像するようになった」


と語ってくれた。


作品の背景にあるもの、特に人間臭い部分を感じながらの肉じゃがはいつもと一味違うものだったのかもしれないな、と僕は思った。そういった肉感のある情報や物語は、人の五感に影響を与えやすいのではと僕は思う節がある。


そんな泉谷さんに期待することを名倉くんはこう語る。


「泉谷さんは無駄な言葉がない。仕草だったり表情が何かを伝えようとしているのがわかる。それは、彼女のコンプレックスかもしれないけれど、今回、『くらこと』を利用して少しだけ変わっていくきっかけをつくってもいいのかな?と思う。自ら変わらないと人生は変わらない。変わらない人生は長過ぎるよね」


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次に話しを聞いたのは、カフェの厨房スタッフを務める川手さんだ。

まず、午前に行われた作家さんの料理にサンドイッチを盛り付けた撮影会の話しを聞いた。


「器と料理、両方が生きてくる感じ。お皿だけでも形や色が綺麗、使われることでまた綺麗に見える」


そんな川手さんは、とにかく今回の『くらこと』を「楽しくやりたい!」と笑顔を浮かべた。


「カフェは土鍋ご飯とおかずを出します。春巻き、切り干し大根とヒジキ。秋の山の色みたいだねって名倉さんが言っていたと聞きました」


と嬉しそうに語る。

そんな彼女に料理に対しての自信について聞いてみた。


「ないです。将来カフェがやりたい、と、料理が好きっかっていうのは別。ただひとつのものが出来上がっていく過程が好き。自分が何かやりたい、お店がやりたいって思うのは、人と人がつながれる場所があればいいな、と思うから。自分の料理がどうこじゃないくて、空間として機能するもの。惹きつけられるもの。その上で料理がある」


川手さんに今後の『くらこと」に期待することを聞いた。


「二回目をやるにあたって、作家さんたちが興味を持ってくれている実感がある。良かったって言ってくれたり、暮らしと自分のつくったものが、使ってくれる、想像しやすい場所だったので、そういう場所ってなかなかないのかなって。それがいいのかなって思いました」


そんな川手さんに期待することを名倉くんに聞いた。


「彼女はARTS&CRAFT静岡最初のスタッフ。みんなから見て頼りになる。俺も頼りにしてる。彼女の性格上、自信を持つことによって彼女のプラスになるはず、といつも思ってる。作家さんから器を借りて料理を表すことも彼女の今後のプラス。可能性が目の前に広がる川手さんは、もっとわがままになっていいと思うし、それを個人的に期待してもいるかな」


次は川手さんと共に厨房を務める山梨さん。

彼女も川手さん同様に、午前の撮影会の話しの中で、


「形になってく面白さがあって、他のスタッフも盛り付けしてたのがああでもないこうでもないとつくっていくというのが面白かった」


と微笑ましく語っていた。


スタッフとの関係を聞くと、


「こうした方がいいよとか言いやすいし、言って貰いたいし。そこは通じ合えてます。ただ、今日の撮影会の前に、川手さんと直接会って、打ち合わせをしたかった。メールだけだけと寂しいね。細かくやっていても、詰め寄りが難しい」


土鍋の講習会のことを聞くと、


「楽しかった。もっと色々火の調節だとか工程が多いのかなと思ったけど、釜が美味しくしてくれてるのだとわかった。冷めたご飯と温かいのと二種類あって、冷めている方が甘味はあった」


と、その味の違いについても話してくれた。


そんな山梨さんはこの日、自分でつくった梅干しを持って来てくれた。待望の梅干し。土鍋の炊き立てご飯に乗せてそれを食べる。梅干しの酸っぱさを白米がくるむようにして味が口の中で広がり、満足することこの上なし!ご馳走様山梨さん。


そんな山梨さんに期待することを名倉くんはこう語る。


「自分の家でつくった野菜、椎茸、梅干しをカフェに取り入れる。その先にあるのは自分が飲食店をやること。『くらこと』を通じてやること、お客さんに何を伝えるかってことを考えながら、ひとつひとつ形にしていって欲しい。彼女の人柄とくらことでの経験が彼女の未来をつくってゆくはずだよね」


最後に話しを伺ったのは、新人スタッフの藤本さん。彼女は今回、このSatoの地に生えた巨木を使って、『くらこと』のシンボルとなる看板をつくっているという。


「今回の看板は、木藝舎の端材とうちの大学の端材も使おうかと。ひと文字、1メートル×1メート。、シンボルになる大きな木にかけようと思う。『くらこと』にはコアなスタッフとしても参加できることが初めてな上に、つくることに携われるとは思わなかったので良かったです」


次に彼女に自分の長所として『くらこと』に活かせる部分を聞いた。


「つくるにしても、人と話し合って相談した中でつくる過程が好きなので。アーティストというよりはデザイナーを目指しています。だから、相談することが苦にならなかったりしますね」


最後の質問は『くらこと』開催に期待すること。


「『くらこと』をきっかけにお客さんが飯碗に凝りだすとか、そういったいい影響を与えられたり反響が返ってくるようなイベントにしたいと思います」


そんな藤本さんに期待することを名倉くんはこう語る。


「看板は、大阪で言えば『太陽の塔』。『くらこと』では藤本さんの看板。言い過ぎかもしれないけれど、そこまで象徴的でなくてもいいから、藤本さんがつくった看板を見て、みんなが色々と感じてくれたらいいな」


相変わらずの長丁場になりましたが、これにて『くらしのこと市ドキュメント』を終わらせて頂きます。

今回、名倉くんから「『くらこと』のルポをやってくれないか?」と頼まれた時、パッと思い付いたのが、このドキュメント形式でした。

何故その思いに至ったか?それは『ARTS&CRAFT静岡』のスタッフとの関わりの中で、彼らが今、変化の時を迎え前向きに動き出していて、その波が実に面白く、魅力的に感じたからです。

そのスタッフたちの内的な変化をドキュメント形式で届けたい。

そう思い名倉くんに企画を持掛けた、という訳です。


文中の名倉くんの台詞にもありましたが、「変わっていく人を傍で見ることによって、また人に影響がある」。それには共感する思いです。

僕が『ARTS&CRAFT静岡』・『くらこと』のスタッフに関わり、どこがどう変わり、今後どう生かされ、そして自ら歩んでいくのか? そんな自分自身が少し楽しみでもあります。

今回、取材に協力してくださった『くらこと』のスタッフ、この機会を与えてくれた主宰の名倉くん、そして最後まで僕の文章に付き合ってくださった読者の皆様に感謝します。

ありがとうございました。


うえおかゆうじ


*2013年のくらしのこと市開催は11月24日となります*


 ARTS&CRAFT静岡

mail :shizuoka@tezukuriichi.com








くらしのこと市・ドキュメント 前編

くらしのこと市ドキュメント・2013年6月  前編


手づくりの物には、全く興味がなかった。ましてや「生活」や「日常」という言葉も、どこか自分には縁遠く思えた。

もちろん僕には僕の日常がある。他人と比較してどこがどう違うかなんて統計的に出せるものでもないけれど、明らかに僕の生活は周囲の人々とは違っている様に思えた。

30を過ぎても実家暮らし。毎日、自分が気持ちいいと思える非日常的な快楽を求めて、一人、または友達と遊び回る。

そんな暮らしの中、僕はあるポイントで、手創り市の主催者、名倉くんが以前経営していたrojicafeに出会う。

中板橋の路地裏にある一軒家のカフェ。その場所を営む人との出会いが、僕に「日常」の大切さ、というよりも面白さに気付かせてくれた。

なんだかんだ言っても、日々は瞬間的な日常の連なりであり、その「ふつう」とか「いつもの」とか呼べる時間をいかに楽しめるかで、その生活を営む僕自身のキャラクターも変わっていくのだ、とその時初めて気付いた。


くらしのこと市(以下・くらこと)』。そのコンセプトは、『器のつくり手と、暮らしの中のものづくりをヒントに活動するつくり手が集い、使い手とつながることで、今よりも少しだけ良い毎日が交差するはず』という軸のもとに企画されたイベントである。

手づくりの品を扱うイベントで、それに意味付けをし、お客さんに精神的な何かを投げ掛け、持ち返って貰いたいという趣旨を持ったイベントは、現在多々あると思う。

去年『くらこと』に出展した作家さんたちの中には、精神的に豊かな(という言葉が適当かどうかはわからないが)暮らしを実践し日常を送っている。そんな人たちも中にはいただろう。

スタッフにしてもしかり。日々、手創り市に関わり、手づくりの品がもたらす生活への影響を考えないスタッフなどいないのではないかと、僕には感じられる。

さて、お客さんはどうだろう?

果たして『くらこと』を通じて、本当にいつもの生活が『くらこと』後、いつもより心豊かに変化しただろうか? そのきっかけに『くらこと』はなっていたのだろうか?

それを確かめる術を今の僕は、個人的にしか持たない。『個人的に』とここで言ったのは、第一回目の『くらこと』にお客さんとして僕が参加したからだ。

人には幅があり、影響を受けやすい人、またなかなか影響を受けない人など、その差は千差万別だ。

だから僕の話しをしようと思う。


(昨年の会場の様子)


第一回目の『くらこと』はとてもいいイベントだと思った。これはあくまで個人的な見解だけれど。スタッフが声かけして集められた出展者の顔ぶれや、作家さん自身がその思いを存分に語ったトークショー、暮らしに根差した古本市など、それらは僕の趣味趣向にばちっとはまった。

生憎の雨だったが、会場となる木藝舎Satoの内装も素晴らしく、カフェスペースもゆったりとくつろげた。

しかし、僕がこのイベントを通じて心の豊かさのようなものを持ち帰ることが出来たかというと、残念ながら、明確なそれはなかった。

いつもの手創り市が、別の形になった、というような感覚を得ていただけだった。

人の心に届く表現はそう簡単なものではない、と僕は思う。もちろん、一日楽しかったし、何度も高揚したけれど、手創り市慣れしたかのような僕に対して、『くらこと』のコンセプトは届くものではなかった。

もちろんこれは僕の主観的な意見だ。

実際僕は、rojicafeに出会い、日常の大切さに気付かされ、その後の暮らしが少し変わった。

そこにはコアとなる人とのつながりがあったからだと今にして思う。

rojicafeを経営する人たちの、その姿勢が伝わり、僕を少し変えた。

僕はrojicafeの常連みたなものだったから、それはゆっくりと浸透していった結果なのかもしれないし、人が変わるには時間がいるのかもしれない。

しかし『くらこと』は、少し豊かな暮らしへの影響をイベント開催の一日で提案したい、という想いが根底にある企画である。

すぐには響かなくても、記憶としてそれが強く残れば、人やその人の日常を変えるきっかけには成り得る。

そのきっかけをつくるために、今回スタッフたちがどう考え、どう動いていくのか? 

前振りが長くなったが、そこに着目しつつも、様々な角度からスタッフの取材をさせて貰った。



第一回目の『くらこと』で、カフェスペースの厨房を務めた山梨さんはこう言う。

「いつも食べるカレーにも、それぞれに意味がある。それをつくる生産者がいる。食材やお米をつくる農家の方。器をつくる作家さん。そういったものを、ちょっと立ち止まって感じられるようなカレーを提供したかった。普通にさらっと食べるのではなく、食べる人がそのことについて考えられるような」

実際、作家さんのつくった器で食べられたカレーは、『くらこと』ならではの特別感を持っていた。そして、カレーの具となる、レンコンや椎茸、椎茸に関しては山梨さんの実家から持参したものという事も知っていたので、よりカレーに対する距離が、いつものように、さらっと食べる感覚とは違っていたし、実際美味しかった。

しかしそれが、それらの背景を集約した記憶として残る味であるかは別の話だった。

そもそも、厨房スタッフがどんな「いつも」を目指していたのか?それを明確に表現する、味の説得力のようなものはそこにあったか?

この記事は『くらこと』スタッフのドキュメントであると同時に、それを描く僕のドキュメントでもある。

正直、僕は人に意見するのが苦手。しかし、最近『くらこと』の取材を通じて『意見することが相手に感情を持つこと』でもあるということをまじまじと知り、今回、こういった形で発言させて頂きました。

発言に対する責任を恐れて意見をしないのは、相手に対して感情を持たないともいえなくもない。と言えば大袈裟だけれど、今回の『くらことドキュメント』はそういった姿勢で進めていきたい。そう思い、このことを書きました。


今回の『くらこと』では、土鍋でご飯を炊き、提供することがメインになるのだという。山梨さんは今回、自分で漬けた梅干しをそこに添えたいとも。

「時間を掛けてつくったものを、お客さんに提供したい」

じっくりと手間を掛けてつくったもの、その時間を味わって欲しい。それが食べることの贅沢につながるのではないかと彼女は言う。そこに味としての説得力を込めるのだろう、と思った。

梅干しを、ひと手間かけ、土鍋で炊いたご飯とともに食べる。そこには、人の手間という有機的なつながりがある。それが今回の山梨さんなりの食のテーマなのかもしれない。そんな、ご飯と梅干しを僕は早く食べたいと思った。

「今までは、日常よりも、旅のような非日常に楽しさを覚えていた。それが最近変わってきている。日常の中に楽しさを見出せるようになった。それは土鍋でご飯を炊くとか、そういったことを大切にすること。それが今回の『くらこと』とつながっている気がする」

そう締めくくった山梨さんもまた、変化の途上にあるように思えた。


(くらことカフェの様子。去年は「いつものカレー」を提供しました。今年はなんだろう?)


次に話しを聞いたのは、橋本さん。彼女は、この第二回『くらこと』のイベントから初めて企画者の立場に身を置くことを志願した。


「正直私には自信がない。打ち合わせに出ても無力感を感じる」


ARTS&CRAFT静岡では、『現場のリーダー』的な存在の橋本さん。

開催当日の搬入時だけでなく、一日を通して、全体を俯瞰できる広い視野があり、何か問題があると、すぐに的確な行動や指示を出せるスタッフ。そんな彼女の口から「自信がない」の台詞が出た時、正直僕は驚きを覚えた。


「現場のことは、向き不向きもあるけど、ある程度回数こなせば、誰にでも出来るようになると思うから、それが自分を肯定する自信にはつながらない」


僕には全くそうは思えなかったが、彼女は続けた。


「多分、私は自分に自信がないから、やれることを正確にやって、弱い自分を周りに悟らせないようにしているのだと思う。だけど、今は初めて、企画から『くらこと』に加わり、自分の足りない部分や、今迄もっと作家さんのブースを観ておけば良かった、とかそういった後悔も浮かんでくる」


そんな弱い面を打ち明けた橋本さんを見るのは、初めての事だった。

彼女には今まで、シミュレーションのルポや、本開催のルポで何度もインタビューを行った。そして密かに僕は、その取材を楽しみにもしていた。

橋本さんの思考はいつもクリアであり、ARTS&CRAFT静岡全体を深く理解・意識しているのがわかり、それが現在のARTS&CRAFT静岡を内から知る上で刺激的だった。そして彼女が、毎回、自分に課題のようなものを設け、それをどんどんクリアしようと積極的に動いている姿勢も良かった。そんな彼女を回ごとに追ったインタビューは、実に充実したものだった。

今回彼女が初めて見せた不安や弱み。しかしそれは、橋本さんが新たな局面に身を置き、それを越えようとしている、そんな状態から出た自然現象的な言葉かもしれないと僕は後に思った。


「スタッフでいるからには、何かをしたいと思う。それが今回の『くらこと』の企画から関わる理由」


橋本さんの今後に更に注目したいと思った。そして同時に、この『くらこと』を通じてスタッフの内面が変わっていくこと、それを捉えるのが僕の役目にも思えた。



次に話しを聞いたのは、鈴木一生くんだ。


「正直、混乱してます。『むすぶ・鷹匠』と『くらこと』が頭の中でごっちゃになってますね」


そう話す一生くんは、鷹匠の町を紹介する『むすぶ・鷹匠』のコーディネーター兼取材班と、今回『くらこと』の企画スタッフ、二つを掛け持ちし、この日二つの企画の打ち合わせをはしごしていた。


「現在としては『むすぶ』の方に意識が向いてますね。まだ『くらこと』で自分が何をしたいのか? 何が出来るのか? が見えて来ない」


そう語る一生くんは、一度インタビューを終えた後に、もう一度僕を呼び出し、再度インタビューを行って欲しいと言った。


「うえおかさん、どんどん質問してください。頭の中を整理しつつ、考えを外に出したいので」


そう言う一生くんに、僕は、

「一生くんが好きなことを『くらこと』で活かす道を探したらいいんじゃないかな?」

と返答した。


「足久保、木藝舎のある場所、その周りの景色が素晴らしいので、みんなにその素晴らしさを持ち帰って貰いたいですね。例えば、木藝舎の周りをガイドツアーみたいにして、みんなに紹介したい。地元の人とお客さんをつなげる様なツアーをやりたいですね」


このアイディアは、普段から一生くんがテーマとしている『自分のいいと思うものを周囲に紹介したい』という欲求から来ていることがよくわかった。

それは一生くんのオープンなところでもあるし、その感動なり感覚が上手く伝わればそれは面白くなるだろうと僕は思えた。

しかし、それを具体的に形に落とし込む作業こそが、大変であろうとも同時に感じた。

一生くんは言葉よりもその内に抱えた想いの方がいつも大きい様に見える。その大きさのギャップのようなものが、時に、相手に対して伝わり難さのようなものを感じさせるかもしれないし、本人も「自分は言葉で伝えるのが苦手です」と言い、それを自覚している。そんな一生くんは、写真やデザインなど、ビジュアルで想いを伝えることに長けていると僕には映るし、周囲もそれを認めている感がある。

今回の『くらこと』を一生くん自身がより楽しみ、それを企画に落とし込むためにも、その長所を上手く活かせたらと僕は思っている。


(去年のくらしのBOOKSの様子。今年はどんな本が並びますかね?楽しみです。)


最後に話しを聞いたのは米澤さんだ。


「私も正直混乱してます。このインタビューが『むすぶ・鷹匠』なのか?『くらこと』なのか? 一瞬わからなくなりました」


『むすぶ・鷹匠』のライター、そして『くらこと』の企画を務める米澤さんも、一生くん同様の台詞を漏らした。


「前回の『くらこと』では、トークショーの司会をやったんですけど、それが不安で不安で仕方なかった。でも主催の名倉さんが自信満々の人なので、表だって不安は人には見せたくなかったんです。『平気です』みたいな態度でいました。その『平気です』を支えるために、朝、会社に行って、一人で掃除をしている時に、司会の練習を声を出して何度もやってました。台本にある台詞は全部。そうやってやれることをやって、不安を隠すんです」


橋本さんの「自分に自信がない」の台詞にも驚いたが、今回の米澤さんの台詞にも同様に驚きを覚えた。

前回の『くらこと』でトークショー前の米澤さんと何度か会話を交わしたはずだが、やはり、米澤さんの狙い通り『平気です』という姿勢に見えたからだった。

見えないところでの努力を惜しまない米澤さんに、僕は更なるのびしろを感じずにはいられなかった。


余談になるが、米澤さんとの出会いは、オンライン上に始まる。彼女の担当するARTS&CRAFT静岡のツイッターで、当時、アトリエ訪問の編集後記を書いた僕に、感想が寄せられたのがそのきっかけだった。

その後、シミュレーション・ルポの際に対面し、真摯な姿勢で僕に色々と話し掛けてくれたのを今でも覚えている。

その頃彼女は、ツイッターでしか「書く」という行為を行っていなかったように思う。それが、いつの間にかARTS&CRAFT静岡のブログ記事を書くようになり、第一回『くらこと』では『くらしにエッセイ』という連載企画さえ任されている。そして今では、東京と静岡の手創り市双方に出展している作家さんのサイトで、月に一度エッセイを書き下ろしするようになった。

彼女の行動力、成長の早さには目を見張るばかりだ。そんな彼女だからこその、影の努力なのだろうと、前回のトークショーの一人シミュレーションについてつくづく思った。


「今、不安なのは、今回のトークショーがまだ不確定な状態なので、やるのかやらないのか、はっきりしないところからきてますね。もちろん、やるとなったら全然やるんですけど(笑)」


そう語った米澤さんは実に頼もしかったが、それも本当は不安を隠すポーズなのかもしれない。でも、ポーズでもなんでも任されたことはやり切る、その姿勢には強さを感じる。


この『くらことドキュメント』の取材を通じて常々感じたのは『変化』というキーワードだ。

スタッフみんなが『くらこと』という企画を通じて、それを形にするのに、多少のなりとも今の自分に変化を与える必要性があるように映ったし、また皆もそれを感じつつやっている感があるようにも思えた。

それは僕にも言える。今回、ドキュメンタリーという書き物に初めて挑戦したが、そこには対象に対しての自分のスタンス・視点が重要視されると感じたし、それは今までの僕の得意とすることではなかった。

しかし、スタッフたちが『くらこと』を通じ、皆が変わっていくことに意識的に挑んでいる様を見て、僕も創作という過程を通じ『変化』することを怖れずにやっていきたいと勇気付けられた。

そもそも『変化』とは何だろう? 人は何のために『変化』しようとするのだろう? 『くらこと』のコンセプトは、イベントを体験した人々に訪れる昨日とは少し違う日常の変化にある。

『変化』それは、昨日とは違う新しい明日をつくるための方法なのかもしれない、と、このドキュメントを書いていて気付かされた。逆を言うならば、『変化』していければ、どんどん新しい未来の中へ入っていけるということ。日常がより彩りを増すということだ。


ここに面白い偶然がある。

第一回目の『くらこと』の古本コーナーで、僕は、『建築家の言葉』という本を購入した。

その中に、こんなページがある。ある建築家にインタビュアーが、「今までで一番難しかったことは何ですか?」と問いかけをする。すると建築家は、数分黙り込んだ後、こう答える。

「変化を怖れる気持ちを克服することだ」と。


ARTS&CRAFT静岡のスタッフとの付き合いや関係性が、今までの様々なインタビューを重ねた結果、深まっているのを今回の取材で特に感じた。皆が僕に本音を打ち明けてくれる。その好意に対して僕が出来ることを考えながら、今回キーボードを叩いた。

後編につづく。


うえおかゆうじ 


*2013年のくらしのこと市開催は11月24日となります*


※次回、くらことドキュメント・後編の更新は

 9月5日を予定しております。

 是非ともご覧下さい!!


ARTS&CRAFT静岡

mail :shizuoka@tezukuriichi.com









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