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#静岡手創り市2019春:日記 前編

 

第18回目となった春の開催を終えて、もうすぐ1週間が経とうとしている。

参加作家の中にはクラフトフェアシーズンにむけて、「次なる準備を!」という方も多いだろう。

生きる為に創作をし。生きる為に創作物を売る。売って得た対価で生活をし、創作物の修練を繰り返す。

それを一生続けることのたいへんさに、現場に身を置きながら、寄り添いたい。

そんなことを改めて考えた2日間だった。

 

 

さて、今回も事前準備よりだらだらと、とりとめもなく、まとまりもなく、綴ってゆきます。

起きたことを、思ったことを、(ほぼ)そのまま話す人間ゆえ、余計なことも、キツめなこともあるでしょうけど、お付き合い下さい。

また、文章の拙さを露呈する箇所が何度もあるかと思いますが、それはそのままスルーしてください。

 

 

4月11日(木曜)。

 

昼過ぎに護国神社に到着し、社務所への挨拶を済ませ、会場のロープ張りを済ませた。

いつからか、事前の会場準備をひとりでやるようになり、試行錯誤の上、今のブースづくりに辿り着いた。

 

この日はとても順調のまま終え、気分良く実家へ帰ることに。

深夜は年老いた両親と共に、いつものイタリアンファミレスへゴー。

 

父親は阿呆のように飯を喰らい、母親と私は一緒にショボいつまみとワインを一本。

いつもと全く変わらぬメニューに、いつもと変わらぬ会話。

 

老いた良心と過ごす深夜のミニマリズム。

いつまでも続けばいいなと思う。

 

 

4月12日(金曜)。

 

さまざまな手違いが重なり最悪のスタート。

大量の荷物が積み込めず、実家の倉庫と護国神社を行ったり来たり。

自分のミスだけれども怒りが込み上げてくる。

なにより、もの凄い焦りが。

 

現場に到着し、少し落ち着いた所で既に設営を始めていた、とある作家さんに声をかけにいく。

 

とある作家とは、今回「薬草喫茶」を企画したひとり、空間演出を担う「ningulu Shinobu Hashimoto」さんだ。

どうやら、橋本さんは私よりも随分と早くに会場入りしたようだった。

 

挨拶もそこそこに自分の作業に取りかかることに。

まずは昨日行ったブース区分けのロープのチェックから。

ロープやペグが外れていないか?ブースNo.の記しが間違っていないか?再度確認。

 

その後、早めのトイレ掃除。

2日間でどれだけの人がトイレを使うのかわからないが、多くの人が使うのはわかりきったことなので、事前のトイレ掃除が大事。

特にトイレの詰まりを回避するため、お通じをよくするため、皆さんご存知、吸引機(通称・スッポン)で執拗にがしゃがしゃと繰り返し、水を流し、再度、吸引しまくる。

あまりに一心不乱に吸引集中していたものだから、神社の職員さんに背後より「ごくろうさまです〜」と云われて吃驚。

「ひゃああhづあ」「うゔぇゔぇb〜」と声にならぬ声が漏れてしまい、職員さんも吃驚。吃驚トイレ祭りだった。

 

話しは変わり、、

 

人間と云うものは時に休息をとることが大切で、現代社会はストレス社会とも呼ばれている。

え?呼ばれてない?ま、そういうことにしといてください。

 

便利になればなるほどに生活は慌ただしくなる。

時に、便利さによって生活が破壊される割に、多くの休みを求める。

便利さからの破壊、とは考えないだろうか。

便利になることをどこかで諦める。

もしくは一部の便利さを捨てる。

そうすれば、自然と休息の時間は増えるよ。

そう思うが、どうだろう?

 

私は余り便利さを選ぶタイプではないが、反面、休みを求めることもなく、自分で云うのもなんだがワーカホリックな人間だと思う。

というか、仕事と遊びの境界線がない故、休む、という意識に欠ける所がある。もう、ずうっとそうだ。

特に半年に1度の静岡では明らかに無理するが、無理をしている時の、良くも悪くもひっくるめた、あのライド感。

あの感触感覚に長いこと中毒ゆえ止められない。

 

そのことを自慢する訳ではなく、無理することを人に勧めることはしないが、好きなことを好きなだけやりたい。

やりたくもないことをしなくていいよう、好きなことで生きる時間のすべてを埋めようとしている。

だって、そうだろう。一日の時間は24時間しかないし、一年は365日と決まってる。

それを自分のやりたいことで埋めてしまえば、どうにもこうにも動かしようがない。

単純過ぎでしょうか…

 

じゃあ、お前の「好き」とはなんだ?と云われたら、果たしてどれだけ楽しい時間があるのか疑問だが…

好きだから楽しい時間があるという訳でもない。

端的に云えば、こう。

 

自分の好きにすべてを捧げたい。

捧げよう。そう決めている。

それは随分と前に決まっていたから。

 

とはいえ、私も生身の人間。

 

肉体的な疲れがたまることはなくても(これからやってくるだろうね…)、内面の疲れがいつしかたまり、時々、身体が動こうとしなくなることがある。自分の意に反して。

おそらく、自律神経の問題ではあると思うのだが、年に1度か2度、身体がいかんとも云うことを聞いてくれない数十分、数時間がやってくる。

それが今回、前日準備の駐車場のライン引きの際にやってきた。よりによって。。

こうなるともう、どうにもならないので、近くのベンチにどうにか腰掛け、じっとするのみ。

時間にして1時間ほどだろうか…身体が「動いてやるよ」というサインを投げてくれ作業を再開。

あれがあのまま数時間続いていたらとても困ったな。ほんと。

 

夕暮れと共に雨もやってきて、どうにか出来ることはやっておしまい。

 

「そうだ!薬草喫茶の設営はどうなってるだろう?」と思い、お邪魔しに行ったら、橋本さんともう一人、明日からの出展者の方がいて手伝いをしてくれているようだった。

 

お互いにはじめましての初対面なのにね。

なんだかいいな。そう思った。

 

 

夕暮れから闇がやってきて夜になり、雨は止まず。

そろそろ家に戻り、あとひと仕事ふた仕事しなきゃ…と思い、橋本さんへ先に帰ることを告げた。

先に帰ることを告げた時、手短ではあったが、橋本さんの設営に対しての感謝を込めて伝えた。

 

「一日ごくろうさまです。まだ、続けますか。根気よく頑張って下さってありがとうございます。」

「遠くで様子をうかがってましたが、出来上がってゆく景色は奇麗でした。」

「暗くなり雨が降っても作業を続けること。それは、誰でも出来ることではないですし、その過程を少しでも立ち合えて良かったです。」

 

彼に伝えたいことはもっともっとあったけれど、本音をサクッとまとめてしまうとそんな感じだった。

 

繰り返し思う。

繰り返し何度でも云う。

 

出来上がったモノやコト。

完成されたモノやコト。

そのことへの興味よりも、過程に興味がある。

立ち合いたい。

そういった場に身を置きたい。

 

理由。

 

過程にこそ私が求めて止まない感動や価値があるから。

そして、過程は皆のものではなく、そこに存在した人間だけのものだから。

 

これは私個人の価値観です。

その価値観によって、手創り市という場をつくり、現場に身を置いてます。

 

自分が感動したことや喜びを誰かに「話す」ことは出来ても、過程の素晴らしさや感動を「教える」ことは出来ない。

そもそもそれは、教えるものではなく、立ち合うことを、現場にいることを選んだ者だけの特権だから。

 

あの日あの時、私は橋本忍さんという人間の、価値観に基づく行いに触れることができた。

もし人から「今季の開催で収穫をひとつあげれば?」と、そう問われたら、迷わずこう回答するだろう。

 

『ningulu Shinobu Hashimoto』という信頼できる人を見つけてしまったこと。」

「彼の行い。姿勢。態度。に触れることが出来たこと。」

「それが、何よりもの収穫です。」

 

 

 

 

前編はこれにて終了。

 

次は中編。

「キレとクチあたり」を中心に会期中に感じたこと。

見たことを綴ってゆきます。たぶん。

 

気分で変更する場合も御座いますが、しょせんは日記と戯れ言。

ご勘弁下さい。

 

それではまた。

 

名倉哲

 

____

 

 

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