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アトリエ訪問:こばやしゆう 後記


こばやしゆう アトリエ訪問 編集後記



ゆうさんとの対話を通して気付いたことがある。

それは僕の言葉が、どこか街の匂いがするということ。

僕の言葉はどこか区画されたプールに似ていると。

ゆうさんの言葉と比較するとそれは実感としてわかるのだけど、彼女の言葉の背景には広い場所を感じさせるものが宿っていると僕は感じる。

初めてゆうさんに会ったその後、僕は海から帰って来たみたいな感覚を覚えた。そんな感覚を覚えさせるものがゆうさんの言葉には宿っていると。

片や僕の言葉といえば、東京の、府中の、北山町的なものがあるのだなと言うことに気付いた。

何かを考えること。それは思考の旅のようなものだ。ならば僕の思考は、僕という25メートルプールを懸命に往復しながら、距離を稼いでいるだけなのではないか?

例え3キロ泳いだとしても、それはやはり区画されたプールでの事なのだ、と今に思う。

僕の思考にはどこか枠があったと。


ゆうさんが言う。

ものをつくっているとパターン化して来る。例えば器なら、窪みのあるもの、真っ平らなものなど、ある程度の限定が出来ていると。でも、海に来て、一回として同じ波はないんだからと考える時に、自分の器はこうあるべきだっていう枠が外れていく。そんな風に海は枠外しの達人だと思うと。


ゆうさんとの対話は実に動的なものだった。海が、同じ波を二つと作らないように、ゆうさんは二つと同じ言葉をルーティン的に語らなかった。

言葉が生きているとか、よく言われるけど、ゆうさんの場合は、心がまず活き活きと生きているのだ。

それは『毎日ひとつ新しい事をする』とか『細胞が活性化する感覚を大切にしている』と語るゆうさんの、そんな生活の仕方が、生きた言葉を、枠を感じさせない言葉を発する源となっているからかもしれない。

そしてその対話は実に型のないものになったと思う。それが今までのアトリエ訪問とは違う点の様に感じた。ゆうさんらしいインタビュー記事になったと思う。

そんな対話を通じて、僕の枠も少し外れたかなと思う今日この頃である。



うえおかゆうじ



※こばやしゆうさんのアトリエ訪問インタビューは「こちら」をご覧下さい


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